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平成13年5月9日

「えひめ丸」事件、文化摩擦避け、次の段階へ

 小泉首相のビックリ組閣のおかげで、同じ日の夕刊から大ニュースになるはずだったワドル艦長の不起訴処分が吹き飛んでしまった。  これは首相にとっても日米関係全体にとっても幸運だったといえる。被害を受けた「えひめ丸」の関係者たちには納得しにくい結論であろうが、日本のマスメディアが必要以上の悲憤慷慨をあおり立てる事態が、偶然とはいえ未然に防がれたのである。

   この衝突事件が起きて以来、世論の動向は数年前に起きた日本人高校生射殺事件のときと同じようなコースを辿っていた。もし軍法会議が開かれていれば、その結果に対する反応も同じことになっていた可能性が強い。米国の関係者はあの事件の推移を教訓としたのではないかと思われるが、他方、日本ではまったく思い出した人もいないようだった。

 えひめ丸と違ってあの高校留学生には、間違った家を訪ねたことと、銃口に向かって進んでいったという二つのミスがあったが、それでも銃規制派の米有力メディアは日本国民の怒りに同調して、大きなニュースとして取り扱った。しかし発砲した被告は裁判で「無罪」(正確には非有罪)評決という結果になり、日本の怒りを再度燃え上がらせる展開となった。米国の世論は、犠牲者に同情はするが評決は妥当、と受け止めた。
 二階に上げられてハシゴをはずされたようになった日本では、陪審裁判への不信が決定的となり、銃を捨てられない米国への軽侮が「嫌米」「侮米」感情を呼び起こし、「ノーと言える日本」が細川内閣と重なった。

 そのお返しはいくらもたたないうちにやってきた。米国は日本を無視(パッシング)するようになり、大統領は中国に9日間も滞在したあと、日本に立ち寄ることもなく帰っていった。「嫌米・侮米」も「ジャパン・パッシング」も、すべて前政権のたった8年間に起きたことである。

 あのルイジアナ事件の裁判は、日本の圧力に対応して重罪(傷害致死)で起訴したため、その罪に該当せずという意味の非有罪評決になったのであって、もし1ランク下の過失致死罪で起訴していたら有罪評決が出た可能性があるといわれている。

   今回の悲劇についても、専門家筋は米海軍の査問会議(おおむね起訴陪審に当たる)が開始されたあたりから、もし軍法会議に進んでも無罪の可能性が強いと予想していた。また、より根本的な認識として、米国民は一般に、軍に対して敬愛の念を強く抱いている。米国のメディアが、今回は「高校生」「実習船」という現実に対して反応が鈍く、当初から「漁船」として報道し続けたことも示唆的だった。

 まだ船体の引き揚げという問題が前途に控えているが、これも微妙な摩擦の種である。産経新聞のコラム「産経抄」が勇気を持って「引き上げは鎮魂にそぐわないのではないか」と発言し、それに賛同する意見が多く寄せられた。マスメディアの役目はこうでなくてはいけない。家族たちもしばらくして「船内捜索だけでもとの海底に戻す」という案にまとまるに至った。同慶の至りといえよう。引き上げを当然のこととして要求するのではなく、米国側の善意を受け取るというぐらいの気持ちで、静かに見守るのがいいのではないだろうか。
(01/05/09)


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