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平成13年5月22日

 「女性天皇」は机上の空論。なぜか?

 にわかに高まってきた議論---「女性の天皇を認めるべきだ」。小泉首相も与党3党の幹部も異論がないようで、今のところ秋の臨時国会で皇室典範の改正が実現しそうな勢いである。

 しかし、実際には、法律改正がどうであろうと女皇(女帝はおかしい)は実現しないだろう。これは戦後の日本では無理な話だということであって、男女共同参画とか、欧州では当たり前だというような問題ではない。

 最大の障害は、女皇の夫を見つけるのがほとんど不可能だという「現実」である。このことは、すでに皇女の嫁ぎ先を探すのが極めて困難になってきていることで、十分に証明されていると言えよう。 

 これは考えてみればすぐ分かることで、女皇または皇太女の婿に迎えられるほどの男性となれば、家柄はもちろん、心身共に健全で頭脳明晰、かつ学歴、仕事歴、縁戚関係などに毛ほどの傷もなく、スポーツ、音楽、外国語に優れ、和歌の素養も望ましい。そして一番重要なことは、それらの才能がすべて自分のためでなく、配偶者のために与えられたのだと心の底から信じられる人格である。

 仮にこういう男性がいるとすれば、それは王族、貴族の中にのみ存在するのではないか。すなわち、ノブレス・オブリージュ(貴種の義務)の一つとして受け止められるからだ。いい例が英国である。大々的に貴族社会を残している英国でさえ、エリザベス2世女王の夫君はギリシア王家から迎えられた。それも結婚は王位継承の予定はない王女時代(1947年)のことだった。

 夫のフィリップ殿下は遠縁であり、ギリシアとデンマーク両国の王位継承順位の何番目かに位置していたが、あえて英国に帰化し、大公爵に叙せられて王女の「ムコどの」になったのである。現在、デンマークとオランダにも女王がいるが、いずれも配偶者はPrinceと呼ばれている。英語では王子も公爵も同じプリンスであり、歴史的にこれらが同格であることを示唆している。ちなみに日本の宮内庁では「王配殿下」と呼んでいるらしい。

 欧州の王室はみな縁続きである。貴族社会も存在する。女王の夫も探せばどこかに釣り合いのとれた貴種がいて、喜んで(かどうか)義務を引き受ける可能性が高い。

 日本は戦後、華族、貴族をなくしてしまった。皇室にはいわゆる「藩塀」が存在しないのである。そのため、法的に女皇が可能になったとしても、夫の供給源がないことを考慮すると皇女(内親王)に皇位を継がせることはできない、と誰もが考えることになるだろう。それは人道問題だからだ。

 「夫の問題」はまだまだある。欧州の相場では公爵らしいが、爵位のない日本では王配殿下にどうやってハクをつけるのか。王室同士は対等というのが国際儀礼だ。
 もっと難しいのは、理想的な男性が見つかったとして、とうぜん民間から婿入りしたとして、そして目出度く世継ぎをもうけたとして、それから「お暇を戴いて自分の人生に戻りたい」と言いだしたときである。なんびとといえど、これを拒否するわけにはいかない。それは人道問題だからだ。

 そうして民間人に戻った元殿下が、新たな人生の伴侶を見つけて再婚することもあるだろう。とうぜん子供も産まれるだろう。かくしてあるとき、天皇に百パーセント民間人の異母弟妹が存在するという事態が実現する。

 こういう皇統の複雑化がいわゆる「お家騒動」を生みだすもとであり、王室衰亡につながりかねないことを、われわれも欧州人も経験的に知っている。皇室典範が「皇統に属する男系の男子」と限定しているのは、決して理由のないことではない。いわんや、男尊女卑の現れというような皮相なものではない。
 かくて議論は、「もともと貴種は、平等とか男女同権というような考えの外にあるから、貴種なのだ」というところに戻ってしまうのである。(01/05/22)


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