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平成13年8月12日

       首相の靖国参拝の意味を探る(追補2)

 参拝に反対する日本人の多くは、中国政府の強い反対に同調しているようだ。
 その反対理由というのは、「日本に賠償金を要求しなかったのを自国民に説明する理由として、戦争をおっぱじめた指導者が悪いのであって、日本国民は被害者だ。だから国民から賠償金を取るわけにはいかない。そう説明した手前、A級戦犯を合祀した神社に総理が参拝しては困る。絶対に容認できない」ということらしい(ただし、唐外相など中国要人がそう公言したとは報道されていない)。

 さて、これがまた、全くナンセンスであるばかりか、二重に危険な論法なので、完全に否定しておかなければならない。

 まず第1に、中華人民共和国政府が賠償を請求しなかったのは、それ以前に日本が中華民国と国交を持ち、同国政府が全中国を代表して、日本から賠償をとらないことを取り決めていたからである。
 だからのちに中華人民共和国が改めて賠償を要求することは、法的にも政治的にも困難であったし、日本政府としても呑めないという状況にあった。この問題で頓挫すると、国交正常化(=台湾と日本の断交)が先送りになってしまう。日中ともそれは避けたい。

 その事情をそのまま大陸の政府は自国民に説明すればよかったのである。しかし指導者たちはそうしなかった。
 では、なんと説明したのだろうか?
 実は、初めに示した日本人による論法は、中国の教科書に使われていない。それどころか、中国の歴史教科書には、戦後の日本についてほとんど触れられていないのである。

 私は数年前、中国からの留学生に聞いたことがあるが、学校で教えられたことは「当時、日本の人民はまだ貧乏で賠償金を取ることができない」という話だったという。日本国民に恩を着せる発想は同じだが、中国人民と同様に戦争の被害者だというような認識とは、明らかに異なっている。「A級戦犯の合祀」などは後付けの理由であることはもちろんで、大体、神道を知らない中国文化では、合祀の意味さえ誰も知らないだろう。

 第2の危険性は、支配者と人民(国民)を分断しようとする習性である。これは近代デモクラシーを知らない国の指導者によく見られる行動で、外交上の揺さぶりをかけるときには、必ず相手国の国民に対して、その指導者が間違っているというように働きかける。
 民主国家では、国民が見放せば必ず政権は崩壊する。それだけ「分断戦略」は有効であり、民主国家の最弱点とも言えるものである。

 一党独裁かそれに近い体制では、支配層が民衆から支持されて存在しているのではないということを認識している。だから、よその国も同じだという間違った認識の上に立って、指導者を国民から切り離せばいいとつい考えてしまうのだろう。

 こういう発想の国の相手国、つまり今回の日本としては、かなり危ない切り崩しに会い、世論調査の数字を見る限り相当の成果を与えつつあると認めざるを得ない。(01/08/12)


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