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平成13年8月19日

       首相の靖国参拝の意味を探る(追補3)

 小泉総理の8月15日参拝断念は、政治的に完敗である。13日に前倒し参拝したのは、囲碁でいえば「投了」の形をつけたことを意味する。

 それが良かったか悪かったかを問題にしても始まらない。戦争は別の手段による政治の継続であり、政治は別の手段による戦争の継続だ。つまり同じ戦いであって、勝たなければ負けである。

 小泉さんは勝つための戦略戦術を練り、客観的に評価できる作戦を立てて陣頭指揮しただろうか?
 それが今回の騒動の一番重要な見どころだった。そして残念ながら、答は「ノー」であり、それどころか「ナッシング」といってもいいくらいの惨状だった。

 小泉さんにとって一番やらなければならなかったことは、味方を増やし、敵を減らすことだった。しかし、ただ「熟慮して、、」と繰り返しているうちに、国民世論の中に反対論がどんどん増えていった。首相は「なぜ参拝するのか」「なぜ8月15日か」「なぜ憲法違反でないのか」「なぜ合祀が問題でないのか」「外国に対する説明は」等々の要点を、国民に向かって自ら語りかけるべきだったのである。

 一度の演説では無理で、順序よく数回にわたって、論理的に、また歴史認識を明快に示して、記者会見を繰り返していけばよかった。それをしなかったために、自民党内の「抵抗勢力」が加速度的に勢いを増し、中国を最大限に利用して(逆ではない)、最後は完勝をもぎ取ってしまった。

 マスメディアは一般に外国の干渉、もっとはっきり言えば中国の圧力に屈したものという見方で一致している。山崎、加藤両氏の説得とか、福田官房長官が独自に「首相談話」を書いて総理に迫ったというような話が報道されているが、いずれも中国に対する「配慮」という点では一致している。
 しかし考えてみるまでもなく、総理がそんな見え見えの干渉に負けたと分かるような行動をとるわけがない。官房長官が伝えられるような役割を果たしたとしたら、それは一種のクーデターである。田中真紀子外相が外務省職員を集めて、首相の人事指示に抵抗したのも、クーデターまがいの行動だった。それを「鎮圧」した官房長官が、同じようなことを自分もやろうとしたはずはない。

 それに、最終決定の場に、総理が最も信頼する飯島首席秘書官がいなかったということも重要だ。つまり、実際は極度に緊迫した政治戦争の最終局面であり、総理はもはや「政権崩壊」か「15日参拝の断念」か、二者択一を迫られたのだと考えるのが妥当であろう。
 そういうふうに追い込まれていった総理は敗軍の将である。政界の住人ならば、みな敏感にそれを感じ取っているにちがいない。日本という国の長期的な見通しにとって、この敗北は外圧に弱い国、特に中国の恫喝に抵抗し得ない国民の国が21世紀にも持ち越されたということになる。また目先の国内政治の世界でも、もはや小泉改革は失速したという前提で進んでいくのを見ることになる。

 小泉さんになにか進言するとしたら、「早く次の戦いを仕掛けて(もちろん周到に準備して奇襲攻撃)、絶対に勝つこと」しかありませんね。(01/08/19)


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