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平成13年9月26日

      アメリカ伝統の秘密戦争

 ハイジャック機特攻テロに関する分析の第3弾となるが、第1回に続いてテクニカルな問題を取り上げる。とはいっても、それが本質の理解につながるからであって、枝葉末節という意味ではない。

 去る22日、ニューヨークでクリントン前大統領が記者団に対し、自ら「在任中にビンラディン暗殺許可を出していた」と語った。本コラム第1弾で指摘したとおりである。

 しかし、不思議なことに日本の全国紙では朝日と産経のみが報じただけで、毎日はWebで流したが紙面には載せずじまい。あとの各紙は完全無視だった。

 これで米国政府、なかんずく大統領とビンラディンが互いに暗殺を計画し合っていたことが明らかになった。どちらが先に仕掛けたかということは問題ではない。湾岸戦争の直後にも、米、イラクの双方が互いに大統領暗殺を計画したが成功しなかったと、半ば公然と語られた。
 今年3月のバーミアン遺跡破壊も、今から考えるとこの秘密戦争のなかでの駆け引きだったのではないかと想像される。

 ここで問題にするのは、ビンラディンとアメリカ政府首脳がなぜそれほどまでに憎み合うのかということである。もう誰もが知っているように、1980年代の大部分、ソ連のアフガン侵攻軍に対してアメリカはイスラム勢力と協力し、義勇兵(ムジャヒディン)を使って苦しめる政策をとった。10万人以上のイスラム志願兵にCIAが訓練を施し、重火器と携行ミサイルを与え、米兵の代わりにソ連の戦車、戦闘ヘリに向かわせた。

 その中に、若き日のビンラディンがいた。彼はアフガニスタンで勝ったあと、なぜか過激な反米テロリストに変身する。
 では、なぜ、過激な反イスラエル・テロリストにならなかったのか?
 この疑問に答える情報がないのである。

 一般に流通している説(?)は、「湾岸戦争で勝ったアメリカが、イスラムの聖地のあるサウジアラビアに居座って、撤退しようとしないことに腹を立てた」からだというものだ。
 この説明で十分だろうか? 

 実は全く意味のない、いや間違いと言っていい説明なのである。80年代というのは、一方でイラン・イラク戦争が8年間も続き、アメリカはイラン憎しでイラク側に立ち、物心ともに支援を与えていた。他方アフガニスタンでは、もしソ連が支配権を確立すればインド洋とガルフへの南下が視野に入ってくる。米国の関心はひとえにサウジの防衛に向けられていた。

 そこでアメリカはサウジと広範な防衛協定を結び、砂漠に秘密の米軍基地を大々的に構築し始めた。しかし、公然とやるわけにはいかない。異教徒の兵士が聖地のあるサウジにいてはいけないのである。米軍はわずかな「軍事顧問」だけがどこかにいるということになっていた。しかし実態として、サウジの防衛は完全に米軍に委ねられるに至った。

 それをビンラディンが知らなかったはずはない。なぜなら彼はサウジ最大のゼネコン財閥の息子で、王室のメンバーとも個人的に親しい関係にあったからだ。数カ所で密かに進められた米軍基地の建設は大規模なプロジェクトであったから、ビンラディン財閥の傘下企業も受注したに違いない。
 基地建設の中枢部分は米陸軍工兵隊が担当するが、全体の構造部分はサウジ地元の業者が中心とならざるを得ない。沖縄の基地の実例を考えてみれば分かることだ。

 私の軍事学の師である天川勇氏(故人)が、この頃、米軍に招待されて完成間近の砂漠の秘密空軍基地を視察に行っている。帰国報告で、「原子力空母を砂漠の下に埋めたようなものだ」とその全体像を表現していたのを記憶している。

 ビンラディンは湾岸戦争以前から、サウジの防衛がアメリカに丸ごと任されたのを知っていた。米軍が非公然ながら駐留していることも知っていた。なにも湾岸戦争を契機に駐留し始めたのではないことをよく知っていたのである。それなのになぜ、米軍駐留が彼の反米テロへの転換理由だということになっているのだろうか?

   この疑問が、互いの暗殺への執念を解明するカギなのである。仮に米軍がサウジから撤退すれば、クウェートもろともサウジの前近代的な支配体制は崩壊する。そうなればビンラディン財閥などのエスタブリッシュメントも存在し得なくなるだろう。そんなことをビンラディンが本気で追求しているのだろうか?
 だから、理由はほかにあると見るしかない。おそらくアフガン義勇兵の時代に、ビンラディンはアメリカ政府と何らかの密約を結んでいたのだろう。なにしろ一介のイスラム兵士などではなく、事実上サウジの首脳が送り込んだ情報員であり、巨額の運動資金を持ち込んでいたのだから、その役割は想像以上のものだったろうと推測される。

 アフガン戦争が終わったあと、その密約は反古にされたのであろう。それどころか、彼はCIAなどの情報機関から追われる身になっていた。これはパナマのノリエガ将軍などと同じパターンである。永年アメリカの情報機関に協力してきた者が、アメリカによって公然と犯罪者とされ、大げさに追われて逮捕され、米国の裁判で有罪とされ投獄される。
 最近ではフジモリ大統領も同じだ。フジモリ氏本人はともかく、腹心(というより黒幕)のモンテシノス顧問が、永年のCIA協力者であったことが明らかになっている。

 用済みとなったら犯罪者として消すというパターンが、確かに存在するようだ。これはどうもアメリカと中南米諸国の支配者との関係が不透明であることの延長であり、また多くは麻薬がらみのようでもある。
 だいたい、アメリカの外交は中東に関する限り、極めてブレが大きい。イランのパーレビ王朝を親米として大事にし、その王朝を倒したイスラム体制を目の敵にして今日に至っている。そのイランに戦争を仕掛けたイラクを支援して支えたあと、こんどは一転してサッダム・フセイン大統領を悪魔呼ばわりして抹殺しようとする。シリアのアサド大統領に対しても同じで、サッダム退治のためには手のひらを返すようにして協力を求める。

 ビンラディンも同じパターンにはめ込まれたことは疑いない。だから彼のテロが正当化されるという意味ではない。テロは徹底的に反撃して叩き続けるしか対策はない。その関係が世界的規模に拡大されたということである。

 アフガニスタンを「平定」したあと、アメリカはこんどは中途半端でなくイラクを平定することになるだろう。そしてその次はサウジという順序になるだろう。ビンラディンを始め今回の特攻テロの関係者に、パレスチナ人でなくサウジアラビア人が多いことに注目すべきである。

 サウジ、クウェート、イラクの3産油国を、先進諸国(G7)は絶対に失うことができない。これは善悪の問題を超えている。だからアメリカに協力する以外に日本の選択肢はない。
 早ければ10年後、この3カ国を事実上アメリカが支配しているかもしれない。

   湾岸危機が始まった90年8月、私は「サンデープロジェクト」で「日本は超法規的でもいいからとにかく護衛艦1隻を湾岸に向けて発進させるべきだ」と主張した。それが11年後にやっと実現するようだ。
 しかし、前回と今回は全く同じではない。何が違うのか自前の情報分析を入念に行いつつ、日本の国益とアメリカの戦略的目的を合致させるように行動しなければならない。そこがいちばん肝心なところである。(01/09/26)


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