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平成13年10月10日

       アメリカ伝統の秘密戦争(続き)

 このたび、日本中東学会のHPからたどり着いた読者が加わることになったので(私も会員)、そのことを考慮に入れてアメリカ研究とバランスをとりつつ第4弾をまとめてみた。

 「9月11日テロ」から1ヶ月を経て、私はようやくこの事件の本質を自分なりに解明できたように感じている。
 この事件はやはり「第2のパールハーバー」であった。もちろん、ふつうのアメリカ人がテレビ画面を見て思わず「パールハーバーだ!」と叫んだ意味とは違う。アメリカは得意の秘密戦争で大失敗し、相手方によって公然化を余儀なくされてしまったという意味である。

 第1のパールハーバーは、日本がハワイの米太平洋艦隊本拠地を攻撃した事件だが、それに先立つ数年前からアメリカは日本との秘密戦争に入っていた。
 1937年7月に事実上の日中戦争が始まった直後、12月に南京近くの揚子江で米砲艦パネー号が日本海軍機の爆撃を受けて沈没しているが、この砲艦の活動にもう中立義務違反があった疑いがもたれている。また数ヶ月前には後の米人義勇兵の飛行隊「フライングタイガー」を指揮することになるシェンノートが、米空軍を退役して中国空軍の顧問に迎えられていた。

 このフライングタイガーは「義勇軍」とされていたが、次第に米政府が支援する事実上の空軍別働隊としての姿を現してくる。米国は中立義務違反、国内法違反になることをこっそりやっていたのである。これがアメリカ製の最新鋭カーチスP−40戦闘機などを駆使して、ビルマから中国南部を活動空域として日本軍を苦しめた。

 それだけではない。1940年の12月になると米政府は、この秘密部隊による日本本土への奇襲攻撃を計画した。長距離爆撃機150機、護衛の戦闘機350機、合計500機を動員する大作戦計画である。
 これについては『ルーズベルト秘録』(産経新聞社、00年)の下巻に詳しく紹介されているが、戦後早くにシェンノートの生涯とともに明るみに出されている「秘話」だ。アメリカの学者の実証研究に基づいてパールハーバー50周年の1991年12月に、米ABC放送のドキュメンタリー番組「20/20」で放映されたこともある(私は録画を所蔵)。

   費用見積もりは当時で5千万ドルという巨額に上るが、ルーズベルト大統領が裁可した文書が公文書館に残されている。「木と紙でできた日本家屋を焼夷弾で焼き払う」という非戦闘員相手の奇襲計画だったが、たまたま日本側の真珠湾奇襲計画が先に実行されたため、そのままお蔵入りとなった。ただし、後に逆コースで艦上から飛び立って日本本土を空襲し中国に着陸する作戦に生かされたことで、全く無駄にはならなかったと言えよう。

 戦後の日本人は一般に、アメリカとの交渉は対日禁輸とかハルノートといったような外交戦だけだったように理解しているが、実際には本当の戦争がすでに行われていたのである。

 さて、こんどの「9月11日テロ」との共通点がどこにあるか分かってきたと思う。
  アメリカは秘密戦争を遠慮なく遂行しながら、相手が追いつめられれば真っ正面から全力で撃って出るということを、全く予想しなかったのである。

   60年前、ルーズベルト大統領は日本を追いつめれば距離的に近い(米領の)フィリピンを攻撃すると予想していた可能性が高い。過去数年間、ビンラディンの組織を追っていたアメリカは、「9月11日テロ」の数日前、日韓を含むどこかの同盟国の米軍基地が危ないという警報を出していた。

 どちらのケースも、アメリカは肩から下でジャブの応酬を繰り返しながら、なぜか相手が先に自分の顔のど真ん中にアッパーカットを叩き込むという可能性を考えもしなかった。

 米国のある研究者によると、今年01年1月にビンラディンの長男の結婚式があり、アメリカはその会場を攻撃しようとしたが、それを察知したビンラディンが「お返しに化学兵器を使うぞ」と警告したため、沙汰止みになったという(『週刊文春』10/11号)。
 この真偽は不明だが、ビンラディンのテロ容疑は13件ともいわれているところから察すると、アメリカ側の「報復」もすでに同じぐらいの件数になっていてもおかしくはない。 
 クリントン大統領は98年の米大使館爆破テロのあと、たまりかねてビンラディン暗殺の許可を出しているから、事態はまさに60年前と同じで大詰めに来ていたのである。

 追いつめて「一発」を撃たせる。しかし、それが中枢に来るとは考えない。都合よく、準備したところに来ると思いこんで疑わない。

 そして虚をつかれてアッパーカットをくらうと、「卑怯だ、暴挙だ、ルール違反だ、自由と民主主義に対する挑戦だ」と最大限のレッテルを貼って、「一発」を撃った相手を歴史上最悪の敵に仕立て上げる。それまでに実行してきた秘密戦争をすべて隠し、大失敗を相手の大悪手にすりかえてしまう。見上げたテクニックである。

 こう書くと左翼、反米思想かと早合点する人もあるかもしれないが、実はアメリカという国が持つ2面性を再確認したにすぎない。私は人後に落ちぬ親米親日派の日本人だが、かつて同じような立場から山梨勝之進・海軍大将(のち学習院長)が「(アメリカは)非常にきれいな品のよいところがあるかと思うと、ごろつきみたいなところが同時にあるのです」と喝破しているのを思い出した(『歴史と名将』毎日新聞社、昭和56年10月)。
 この2面性に振り回された日本とビンラディン。一方は国で他方はテロリストという分別法はほとんど意味を持たない。

 アメリカは「ごろつきみたいなところ」を帳消しにする普遍的価値と倫理性を持った国であることは疑いない。だからこそ、今でもアメリカに移民が殺到するのである。イスラム教徒も含めて、、。

 アメリカはすでにして世界遺産であり人類の公共財といってもいい。
 われわれ日本人は60年前に痛い目にあって、ようやくアメリカとのつき合い方をおぼえたといえるかもしれない。ビンラディンを始めイスラム過激派の人たちに、われわれの学んだことを伝える方法はないものだろうか。
 それ以前に、はたして小泉さんは何をどれだけ分かっているだろうか? それが問題だ。(01/10/10)


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