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平成13年11月19日

       21世紀型戦争 vs.18世紀型戦争

 タリバンがほとんど抵抗することなく「政権」を捨てたので、アメリカはかえって勝利宣言を出せなくなった。もし形だけでも米軍が先頭に立って首都カブールを解放したのであれば、ビンラディンの生死はどうであれ、アメリカは軍事的勝利を宣伝できたのに、、。
 北部同盟が先陣争いをして米国の制止を聞かなかったために、アフガニスタンは一気に軍閥割拠の戦国時代に逆戻りしてしまった。またアメリカは、本当は優先順位を下げていたビンラディンとアルカーイダの抹殺、壊滅を、改めて第1目標に掲げざるを得なくなった。

 ここで軍事的考察のみに絞って、何が注目点なのかを分析してみよう。
 米軍の行動は当初から「RMA」(軍事における革命)の実践を目指して計画されたと見る。未だに1人の戦死も報告されていないところをみると、実際に「味方は死なず、敵は大量に殺す」作戦が功を奏しているといえるだろう。湾岸戦争の時と違って、死んだ敵兵の姿をほとんど見せないところが特徴的である。

 もっと特徴的なのは、米軍の21世紀型戦争に対して、相手が18世紀型の戦争で応えたことである。

   イラクは少なくとも20世紀型の戦争を戦う準備をし、米軍のプレ21世紀型戦争に対応したのだから、そう「非対称的」というわけでもなかった。物量と質量の違いは大きかったが、、。

 10年後のいま、タリバンと北部同盟の双方が、本気で戦うのを避けて戦争している。タリバンの方は勝って政権を持続する見込みはないと見て、勢力温存の道を選んだ。もともと政権として機能していたわけでもないし、カブールに執着を持っていたわけでもないだろう。宗教指導者オマル師に忠実なターリブ(神学校)出身者と、ビンラディンに付き従う数百人のアラブ兵のみが、山岳地帯で生き延びようとするだろう。

 北部同盟の方はもっと戦う意欲に乏しい。この戦争は勝つに決まっているのだから、そのあとの政権参加に備えて勢力を拡大しておくことが望ましい。いま本気で戦って、損害を大きくする気は毛頭ないということである。
 三派合わせても1万から1万5千人ほどというから、米陸軍や旧ソ連地上軍の1個師団ぐらいしかいない。これでアフガニスタン全土を支配下に置くことは不可能である。三派それぞれがなるべく戦闘を避けようとするのは当然だ。

 こういう「本気で戦わない戦争」は、ナポレオンが出現するまでのヨーロッパでは普通のことだった。本当に殺し合う戦争は、いわゆる国民国家(Nation State)が成立し、傭兵でない国民軍同士がぶつかるようになってからである。

   アフガニスタンは国民国家以前の戦国時代、あるいは軍閥割拠時代にあるわけだから、アメリカが21世紀型戦争を試す相手方としては極めて不適切だったともいえるだろう。いわば「戦国自衛隊」を地でいったようなものだ。
 まるで次元の違う軍事力を行使したために、アフガニスタンの政治的将来だけでなく歴史そのものを歪めてしまうことにもなりかねない。英国が抜け目なく派兵して、もう戦後処理を主導する構えを見せたのがそれである、性懲りもなく。

 アメリカは鶏を割くのに牛刀をもってするような軍事思想を今後も発展させていくのだろうか?
 答は明確にイエスである。軍事革命の完成前に「新しい戦争」が現実となったのだから、いま実行している牛刀戦術を事後的にも正当化せざるを得ないことになる。注目すべきは、仕掛けてくる仮想敵に対し米国は事実上すべての国を同盟国、友好国並みに巻き込んで対処する方式を完成したことだ。つまり作戦のグローバル化、味方のグローバル化である。

 米本土防衛もグローバル化し、米国自体は遠方への軍事力投射を強化し、その代わりに手薄となる米本土防衛に同盟国の助けを借りる。実際にもうNATO配備のAWACSが逆派遣されて、米本土上空をパトロールしている。
 だから、日本のイージス艦が米空母を守るのは何の不思議もない、と彼らは考えるだろう。イージス艦は米空母を守るのが本務である。決して「情報の共有」などというレベルの話ではない。軍事同盟は本来、対称的でないと有効性の保証が難しい。

 近い将来、米軍が遠征するに伴ってハワイの守りが必要となり、自衛隊の派遣が要請されるという事態もあり得るだろう。さらに発展して、自衛隊の米国駐留も必要というようになれば、沖縄基地問題も全く別の形で解消に向かうこともあり得る。
 それほど今回の対テロ戦争は大きな意味を持ち始めたということである。(01/11/19)


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