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平成14年9月21日

            9/17ショックの読み方

 全くの偶然だろうが、同じ日に「ならず者国家」「悪の枢軸」と名指された2つの国の独裁者が、「ごめんなさい」と頭を下げた。

 イラクはつい前の日まで「絶対に査察再開は認めない」と突っぱっていたのに、突然、「無条件で受け入れる」と国連事務総長に文書で回答した。
 北朝鮮の指導者は日本国民の「拉致」を自ら認め、遺憾の意を表明した。国際的な圧力である核問題についても日朝宣言文書で「すべての国際的合意を遵守する」とし、さらにミサイルについても「発射のモラトリアムを2003年以降も更に延長していく意向」を明記した。

 これでイラク、北朝鮮の両国が「変わった」のだろうか?

 そう見る人はよほどのお人好しである。国はそう簡単にかわらない。皮肉な例をとれば、日本の外務省だって変わらないのに、どうして国がいきなり大きく舵を切れると考えるのか。
 戦争に負ければそうなるとしても、まだ負けていないうちはかえって変われないのである。

 不思議なことにイラクが本気で査察を受け入れるつもりだと考える人はほとんどいないのに、北朝鮮に関しては大きく舵を切ったという受け取り方が日本中にあっという間に浸透してしまったように見受けられる。
 これはいわば9/11同時テロの逆の衝撃で、まさかあそこまで譲歩するとは思わなかったという意味のショック(肩すかし)と、そこまで北は追いつめられているのだという一方的な理由付けが、日本人の側に一種の自己満足をもたらしているのではないだろうか。メディアの関心が拉致被害者に集中したのはやむを得ないとしても、そのために北の変化が既成事実として強調される結果にもなってしまう。その意味で小泉首相の支持率上昇は危険な徴候ともいえよう。

 だから、イラクと比較して分析することが有用だ。どちらもアメリカの攻撃を恐れて、何とかこの辺で衝突コースを降りる必要を感じたのである。時期が重なったのもアメリカの一貫した強硬姿勢が同じころ、同じように、両国指導者に認識された結果である。
 そして同じように、恭順の姿勢を見せることで当面の危機を回避しようとした。その危機とは開戦そのものではなく、開戦に踏み切る敷居(Threshold)をまたぐ寸前という意味である。

 イラクに関しては、アメリカの意志は揺らがない。イラクが少しでも査察を先延ばしするような素振りを見せたら、今度こそ命取りになるだろう。

 北朝鮮はイラクよりもたちが悪いといえる。なぜなら北は諜報機関がそのまま国家を形成しているような国だからだ。党や軍の組織だけでなく、あらゆる行政機関がすべて諜報網に組み込まれているという点で、きわめて特異な諜報国家である。赤十字でさえその一部であることを隠していない。

 その諜報機関を父親の時代から統括してきたのが現最高指導者なのだから、部下が悪いことをしました、遺憾です、もうしません、といって普通の民主国家になることはありえない。それより先に国が消滅する。

 国際社会としてはイラクと北朝鮮の軟化を大いに歓迎して受け入れる。そして約束を実行するかどうか見せてもらいますというのがオトナの態度である。
 しかし同時にわれわれは用心深く、北が諜報工作として小泉首相を平壌に招き、わざと唐突に拉致被害者リストを出してきたのではないかと疑わなくてはならない。多くの疑問点について日本独自の分析を続けなければならないのである。

 本来、要求されていない死亡年月日や8件11人以外の日本人の消息まで出してきたことの真意は何か? この辺に向こうがたくらんだ仕掛けが隠されているような気がする。何を読みとれというのだろうか? 朝鮮専門家諸氏にはそういうところを解明してほしいものだ。

 小泉首相は早くも「人道援助」を口にした。外交交渉に秘密は付き物だが、これも事前に約束させられていた条件の一つであろうと疑われる。首脳会談であれほどの意表をつく新展開があったにもかかわらず、日本側は宣言文案を一言たりとも修正するよう要求しなかったという。もともと小泉さんは外交の経験がない。しかし首相になった人が必ず駆られる誘惑は、「外交で点が稼げる」という囁きなのだそうだ。そこに魔が潜んでいる。(02/09/21)


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