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平成14年11月24日

         歴史が教える「二重の壁」の誘惑

 21日からの北大西洋条約機構(NATO)首脳会議で、バルト三国を始めルーマニア、ブルガリア、スロバキア、スロベニアの計7ヶ国の新規加盟を認めた。
 今後1年以上の批准手続きを経て加盟が有効となるが、仮想敵国のロシアからとうとうバルト三国をもぎ取ったことは、文字通りエポックメイキングな瞬間と言わなくてはならない。

 ソ連時代、西側に対するロシアの防壁は見事なまでに「二重の壁」で構成されていた。ソ連邦という体制自体が、そういう目的で考えられたのではないかとさえいえるぐらいだ。
 ソ連邦の西端に白ロシア(現ベラルーシ)、ウクライナというスラブ民族の共和国を配置し、その北側のエストニア、ラトビア、リトアニアの非スラブ3ヶ国を武力で脅して強引にソ連邦に加入させた。

 これが内壁である。白ロシアとウクライナに関しては、国連発足時から米英両国と取り引きし、独立国扱いで加盟させている。合計3票を確保するためだ。

 バルト三国の外側はバルト海だから、ここの壁は1枚でもいい。しかし白ロシアとウクライナの外側には西側、特にドイツとの間にもう一枚の強固な壁をつくってロシアの勢力下に置かなければならない。東欧、つまり衛星国群だ。
 いちばん重要な位置にあるのは、いうまでもなくポーランドである。その南にチェコスロバキア(当時)を挟んでハンガリー、ルーマニア、ブルガリアと続く。

 これが外壁である。ロシアを守る2枚の壁が実にきれいに並んでいたわけだ。

 それが今では99年に外壁国家のうち、ポーランド、チェコ、ハンガリーの3ヶ国がNATO加盟を認められ、外壁の中核が消えた。そして今度は残りの外壁すべてと、大事な内壁の一角までもが崩されたわけである。

 国家や民族が壁を巡らせようとするのは別に不思議でも何でもない。ソビエトロシアの二重壁よりも、もっと単純明快な例が身近にある。

 それはほかでもない、戦前のわが国である。
 日本は帝政ロシアと戦って、かろうじて勝利したことになった。しかしそれは局地戦で勝ってロシアの戦意を減退させただけ、ということを政府はよく分かっていた。
 ロシアのさらなる脅威を痛感させられた日本は、本土防衛のためには海の向こうに壁が必要と考えるに至る。それが朝鮮半島の併合だった。いい悪いの問題は別とする。

 陸軍国ロシアが同じ陸軍国であるドイツ、フランスを仮想的として、二重の壁の面積をできるだけ広くしようしたことは理解できよう。同様に日本もロシアを相手に壁をできるだけ広くとる必要があった。
 その結果が、評判のよろしくない満州国建国となって現れたのである。

 朝鮮と満州国は日本にとってほかに作りようがない二重壁であった。実際に終戦直前、ソ連軍の攻撃で犠牲になったのは満州国までであって、朝鮮半島には戦火が及んでいない。広大な外壁が役に立ったといえるのではないだろうか。むろん、いい悪いの判断は別である。

 さて、実はこのように述べてきたのは、アメリカがなぜイラクを攻撃するのかという疑問の答えを考えるためである。
 「二重の壁が必要なのだ」という論理を、ソ連も戦前の日本も公然と唱えたことはない。それは国家の行動として現れてきたのであって、誰かが理路整然と政策を考え実行していったというわけではない。そこが国際政治の面白いところだ。

 いつの間にか国家としての行動は決まってくる。確たる舵取りがいるわけではない。結果がうまくいくこともあれば大失敗ということもある。われわれはそれを結果として、すなわち歴史として見ているにすぎない。

 いまアメリカがやろうとしているイラク攻撃は、正当な理由があるのか分からないとよく言われる。ブッシュ政権が石油資本をバックにしているから、石油利権を最大化するのが目的ではないかという憶測もある。それも、そうかもしれない。

 もう一つの回答は、「二重の壁」理論である。ロシアの防御壁喪失と交差する形で、中東の中枢地域で「二重の壁」構築が始まっているのではないか。誰もそうと意識しないうちに、、。

 もちろん、誰を誰から守るための内壁外壁かはいうまでもないだろう。前の2つの具体例に比べると、内外の壁が一目瞭然ではないかもしれないが、地図を見ればだいたいの感触はつかめるはずだ。その中心にイスラエルが存在している。

   誰でも気がつくのは、イスラエルの防衛二重壁の構築が始まろうとしているのなら、イスラエルがその主体であるはずなのに、なぜアメリカが自分の防衛戦のようにみなして軍事行動を開始するのかということだろう。

 その代理行為のように見えることこそがカギなのである。湾岸戦争以降の中東を複雑にしている最大の特徴は、まさにアメリカがイスラエルと一体化し、ほとんど二重国家のようになってしまったことである。
 そのような特殊関係を作り出したのは、アメリカ史上もっともイスラエルに近いといわれたクリントン民主党政権だった。次のブッシュ二世共和党政権は親イスラエル勢力に借りはなく、前政権のアンチテーゼを打ち出すことが可能だった。しかし9・11同時テロがそうした図式を一撃の下に叩きつぶしてしまった。

 当コラムで一貫してサウジの危うさに注目していることを思い出していただきたい。「イスラエルの二重壁」仮説では、サウジは外壁に位置していることになる。アメリカとサウジの蜜月(利害一致の法則)はすでに終わったと考えるべきだろう。(02/11/24)


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