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平成15年11月30日

           どこの国なら安全か?

 「イラクはもうメチャメチャだ」とか、「テロではなくレジスタンスになってきた」というような議論をする手合いが増えてきた。  そういう人々はもとからアメリカのイラク攻撃に反対であり、戦争もアメリカが苦戦するだろうと警告し、開戦後は「やっぱり苦戦だ、誤算だ」といい続けてきた「プロ論客」たちだ。こんどは「それ見たことか」という怨念が加わって、つい語調も荒くなるようだ。

 たしかに米軍のテロ犠牲者は、イラク戦の「戦死者」数を超えてまだ増え続けている。これだけは計算外だったに違いない。が、これは単純に占領軍の兵力が少なすぎたためである。戦争自体をRMA(軍事全般の革命)理論にもとづいて、少ないハイテク地上兵力と圧倒的な精密空爆の組み合わせで実行したため、電撃的勝利後の占領には兵力が足りないという状況に立ち至ったわけだ。

 その結果、イラク全土に散らばった兵器類を探して押収する仕事に、兵力をほとんど向けられないという状態が続いた。これがテロを生んでいるのであって、物理的にこれらの隠匿兵器を使い切ってしまえば、サダムに忠実な元イラク軍兵士が地下活動をしようにも、その手段を失うことになる。

 この因果関係が分かれば、問題は持久戦なのであって、イラク人に主権を渡すべきだというような議論はスリカエだと分かってくるだろう。もしイラク中に武器が隠匿されたまま国際部隊が撤退していけば、サダムが復活するか、イラクがソマリア並の内戦状態に陥るか、どちらかしかないだろう。

 参考になるのはイランの前例である。私は仕事としてイランのイスラム革命を当時、1979年初めから克明にフォローしていた。
 ホメイニ師の突然の帰国からイラン・イスラーム共和国の成立(3月30日)までわずか2ヶ月で、この時から今日まで「米国 vs. イスラム」の対決が続いているのは隠れもない事実だ。

 興味深いのは、同じペルシア人で、同じシーア派イスラムで、一緒にホメイニ師を信奉して革命を成し遂げた過激派(しかも聖職者)が、お互いに爆弾テロで殺し合いを続けたことである。

 この時代でも爆弾テロが大はやりだったのだ。81年8月には官邸までが爆破され、就任したばかりのラジャイ大統領とバーホナル首相が同時にアッラーのもとに召されてしまった。
 革命初期のホメイニ師配下で、なんとか生き残った者はラフサンジャニ師('89〜'97大統領、現国会議員)ひとりだけといってもよい。それぐらい、ほとんど全員がテロに倒れたのである。

 もし、イランが自ら国際的に孤立を選ばず、国連や欧米諸国の援助団体が入り込んでいたとしたら、かれらもテロの標的になっていたに違いない。それが現在のイラクと少し異なるぐらいで、大筋は同じだ。ついでにアフガニスタンでも同じだが、同国では部族氏族単位で、ある程度の統率がとれている。

 つまり、イラクに大量の武器が残る限り、テロは誰にでも向けられる。イラクはイランと違って、民族もクルドとアラブの複数、宗派も複数、サダムの身内部族とそうでないスンニー派、さらには多数派のシーア派も分裂、という具合に、テロの素地は枚挙にいとまがないくらいだ。

   仏露独の三国も、テロとの戦いなら大義名分は立つだろう。米軍には復興行政に専念してもらい、恨みを買っていない三国を含む国際軍が武装解除に当たるようにしたらどうだろうか。

 それでもテロはすぐにはなくならない。徐々に少なくなっていくが、完全になくなるわけではない。国外からの持ち込みも常に警戒しなくてはならない。国内の安定とテロ活動は正比例する。イランがいい例だ。

 「どこが安全か」「非戦闘地域かどうか」、空理空論に膨大なエネルギーと時間を費やしていて、何か得られるものがあるのだろうか? (03/11/30)


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