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平成15年12月25日

        日本国憲法は「無効」が正解、だが、、

 小泉首相が自衛隊イラク派遣の根拠として、憲法の前文を一部引用したことが話題を呼んでいる。野党など派遣反対派からは当然、「戦争放棄の第9条を回避したご都合主義的解釈だ」と批判の大合唱が沸き上がった。

 第9条を回避するための論法としては格別目新しいものではないし、その目的のためには、第98条2項「国際法規はこれを誠実に遵守」という条文が9条に優先するという論法も、かつてはよく耳にしたものだ。

 こんどの小泉流引用は、田中明彦・東大教授あたりの入れ知恵かと思われるが、実際にそれで自衛隊が海外派遣されるのだから、本当の意味で前文の「全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」という積極的国際協調理念が、具体的規程である第9条を無効にしたわけである。これが前例となることの意義は大きい。

 もっとも国民の多くがそう理解しているとは限らない。小泉首相の強がりにはもうなれてしまっているので、何をどう言ってもあまり真剣に受け取られないというのが実情だろう。自衛隊派遣を可能にした政治的原動力としては、神崎・公明党代表のイラク訪問のほうがはるかに大きい。これで小泉「前文優先」論を帳消しにしてしまったのかもしれない。

 公明党は加憲という別名を掲げた護憲勢力だ。ほかに論憲、創憲というのも護憲の別名である。では、改憲の側には別の名称がないのか?

 廃憲、無効論、というのが、あるにはある。法理論的にはいちばんすっきりしているが、実際にはどうだろうか。
 無効論は石原都知事などが公然と唱えているもので、他国の軍事占領下において必要最低限の法令強制は致し方ないが、憲法のような基本法規を定めるのは国際法上も無効だとする。したがって当然に、占領が終了すると同時に無効になったと解釈すべきだという。手続きとしては、現在でも国会で決議すれば、それで無効にできるというものだ。

 筋道としてはこれがもっとも正しいといわざるを得ない。しかし、そう簡単にはいかない。難点が多いのだ。この憲法はもう半世紀以上も定着してしまっていること、日米安保体制と事実上一体化している事実、さらには、憲法廃止決議が対外的には「クーデターの一種」と受け取られる恐れがあること、などが挙げられる。

 もう一つおまけに、現行憲法を廃止すると、旧憲法が自動的に復活してしまうという問題がある。新憲法は大日本帝国憲法の第73条に従って改正したと、いちばん前に天皇のお言葉として書かれている。
 ちなみにこの73条では「此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ」となっていて、そっくり全文を改正することを想定していない。従って、新憲法への全面改正は違憲であったとも言える。そういう筋論からすると、日本国憲法は初めから無効だったことになる。

 現行憲法にはこれほどの「素性の悪さ」がある。だから改正という場合には全面的書き直しが必要だ。しかし、それはほとんど不可能である。

 頭の体操になるが、もし「この法律は改正してはならない」という条項を持つ法律が成立したとする。後にその法律が世の中に合わなくなった場合、この条項自体の合法性が問題となることは確実だ。改正できない法律などあり得ない、というか、廃止すればすむことだから、そんな条項に縛られることはないはずだ。

 同じことが憲法にも言えるのに、なぜそのように世論が成熟しないのだろうか。
政治学者の中には、その壁を乗り越えようとする者もいる。たとえば佐々木毅・東大学長は、改正がほとんど不可能であることが不合理だと考え、まずこの条項を緩和する改正だけを実現したらどうか、というアイデアを出している。

 また、第9条が最大の争点であることに注目し、9条の第2項のみを削除するだけの改正を考えたらどうか、という提案も出されている。2項に書かれているのは、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」という念入りな禁止規定である。
 
 この規程を削除すれば、9条の精神を残したままで、自衛権をめぐるほとんどの矛盾は解消できるというわけだ。確かにそうだが、そうであるだけに反対派は決して受け入れないだろう。護憲派の狙いはあくまで「9条の死守」にあるからだ。2項の削除は、いわば大阪城の外堀を埋められるような策略と映るだろう。

 このように考えてくると、憲法の改正がいかに不可能に近いかが分かってくる。そこで、いっそ憲法をなくしてしまったらどうかという考えに立ち至るのも無理からぬところだ。
 現に英国は成文憲法を持たない。といっても憲法がないわけではない。慣習法、判例法の原理原則があれば、成文憲法がなくても別段、不都合はないという実例を示している。

 これを「廃憲論」とすれば、「無効決議論」の発展型と考えることができる。現行憲法の廃止だけでなく、同時に帝国憲法に戻るのを避けて、「成文憲法を廃止する」という決議を国会で行えばいい。新憲法を制定するまで「当分の間」に限るとしてもよい。そのほうが国民の支持が多くなるだろう。

 これを可能にするためには、最高裁に憲法裁判所を新設し、憲法判断を下す機能を格段に強化することが必要だ。もちろん、合憲違憲の基準は過去のあらゆる判例と、公序良俗、外国との条約・国際法、等々を総合的に検討して判断することになる。
 最高裁にそんな人員と能力があるかという心配には、内閣法制局をそっくり移管すればいいではないか、という答えが用意されている。法制局は周知のように、法案審査の過程で違憲審査までやってしまうというので評判が悪い。一介の官僚にすぎない法制局長官が、事実上の違憲立法審査権を持っているのは確かに変だ。

 こうしたおかしさは、憲法裁判所が機能すれば解消されるだろう。法案に違憲性があれば憲法裁判所が独自に意見を述べることができる。それぐらいの権限を与えればいい。

 、、というわけで、今年も締めくくりで少し早めですが初夢のヒントを書いてみました。よいお年を、、。(03/12/25)


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