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平成16年12月30日

        領海認めず謝罪もしていない中国(続)

 今年最後の「よむきる」は、やはり、来年の日本に襲いかかる最大の外患である「反ファシスト勝利60周年」のウソ宣伝を、さらに深く分析しておくべきだと考えた。

 11月21日にサンティアゴで小泉首相・胡錦涛Presidentの首脳会談が開かれたあと、日本側は対中弱腰外交というイメージを相殺しようとして、対中ODA(政府開発援助)をそろそろ「卒業」してもらおう(もういらないだろう)と発言した。
 
 これに猛然と反発して、温家宝・首相がわずか10日後の首相同士の第2次首脳会談を要求してきた。これで、中国政府が何を考えているのかが一段と明らかになった。そういう読み方をすべきである。

 ラオスの首都ビエンチャンで開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)の会合で、温首相に呼びつけられた格好になった小泉首相は、初めから喧嘩腰の温首相に徹頭徹尾、恫喝されっぱなしだったという。あまりのひどさに、これを隠しておいては大変なことになると憂慮した政府筋が、マスコミに少しずつリークをし始め、週刊新潮12月16日号が「全記録」と銘打って、全容を世間に知らしめるに至った。

 温首相の意図は、明らかに靖国問題ではなく、ODAが賠償取り立てであることを初めて公式に宣言し、日本側から打ち切ることができないと通告することにあった。
 日本政府は、そのことを国民に隠していると言ってもいい。

 温首相は「今は、どうしても円借款が必要な状況ではないが、中日友好の大局に立って、われわれは決断している。仮にこれを中止すれば、両国関係ははじける状況になります」「われわれは戦争の賠償を一銭も日本に求めていない。中日友好の大局から、慎重に対応すべきです。仮に日本がこの問題を取り上げるならば、中国から中止を言いだすかもしれない。中日友好には不利だ」と言ったという(週刊新潮)。

 これは、日中国交正常化以来、中国首脳が発した最も重要な文言にランクされるべき発言である。
 対中経済援助が賠償の代わりであることは、日中間のいわば「言わず語らず」の常識である。それを正面切って言いだせば、日本としては「中華人民共和国は日本敗戦の時に存在しておらず、賠償を要求する権利はない」と言い返すことができる(存在していた中華民国の政府は賠償請求を放棄した)。

 それを逆に中国首脳部は、日本が賠償代わりのODAを自分たちに支払っている事実をもって、自分たち共産党政権が伝統的中国の正統政府である証明(の一つ)とみなしてきた。それを日本側から打ち切られたら、あるいは打ち切るという話を持ち出されること自体が、自らの正統性を否定されることに等しいのである。

 だからこそ、中国政府は「ODA卒業を」という小泉首相、町村外相の一言に飛び上がって激怒したわけである。

 中国政府は来年の自称「対日勝利60周年」を利用して、さらに正統性を確認しようと計画している。靖国問題で小泉首相を屈服させることができればそれに越したことはないが、正統性の確認という意義ではODA問題のほうがはるかに重要性が高い。それに気がついて、本音の恫喝を口にしてしまったということだろう。

 「中国から中止を言いだすかもしれない」という奇妙な言いぐさにも意味がある。まるで駄々っ子、週刊新潮では「ヤクザも顔負けのメチャクチャな論理」と呆れているが、これは根底に「中華思想」が岩盤の如く根を張っていることを意味している。
 
 伝統的な中華思想(華夷秩序)では、中華の皇帝の徳を慕って服属する夷荻(いてき=周辺の野蛮人)が、定期的に貢ぎ物を捧げる(朝貢)。1回きりではなく、絶えず繰り返して行うよう要求される。たとえ形式に堕したとしても、その形式(儀礼)が大事だとされる(すなわち守礼)。
 夷荻のほうから打ち切りにするというのはあり得ないことで、中華に対する宣戦布告に等しい。そのことを、温首相は正確に表現したのである。「礼を守れ」と。

 すなわち温首相の恫喝は、すでに日本を服属国として扱っているということを、中国内外に広く知らしめるための演出だったと考えていい。知らぬは日本人だけということだ。同じような恫喝演出を、北朝鮮も何度も繰り返している。歴史的には朝鮮の王朝も、中華を真似た「小中華」といわれる行動を何度か見せている。

 いま中国政府は「外国勢力を実力で追い出して人民を解放した」というマルクス主義的正当化が風化してきたため、葬り去ったはずの伝統的中華思想を掘り起こし、「天命によって旧支配者を倒し新王朝を建てた」とする中国的「革命」思想に乗り換えようとしているのである。
 その攻撃相手は日本以外にない。だからこそ、昔の日本がどんなに残虐な行為をしたかということを、改めて「白髪三千丈」式の超誇大宣伝と作り話で「正史」を捏造しなければならないことになった。

 相手の手の内が分かれば、対策もたてやすくなる。来年は、こちらも対策を打ち出さなければならなくなるだろう。災の年は政治でも終わりとしたいものだ。
 では、よいお年を。(04/12/30)



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