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平成17年2月26日

             ソ連式交渉術に対抗する方法

 ちょうど3年前の当コラム(平成14年2,3月)で懸念したように、北方領土返還要求を2島で手を打とうじゃないかという声が、北海道民の中から公然と出てきたようだ。鈴木ムネオが個人的に種をまき、誰かが今日まで枯らさずに育ててきた変種だろうか。

 プーチン大統領は完全に独裁者としてロシアを掌握し、準超大国の地位を回復する意欲を見せ始めた。2008年に大統領任期が終わっても別の肩書きで君臨するだろう、と今から噂されている。世界が期待する「民主化」に背を向けたプーチンは、当然、日本の期待にも逆行してソ連時代の領土交渉に戻ってしまった。

 日本は相変わらず、「どうか訪日してください」という招待外交に固執している。訪日さえしてくれれば、必ずお土産をもってくるはずだから、外務省と首相は点を稼げるはずだと思い込んでいる。こういう外交を戦後60年間、反省もせずに続けてきたのだ。

 プーチンは昨年秋、中国との領土問題を最終的に決着させた。両方とも「勝った勝った」と言わないが、実質的に50/50で手を打ったとみられている。しかし、中国側が百パーセントの権利を主張していて、ロシア側が不利なのが明らかだったことから、この結末は「それでもロシアは5割とるんだな」という示唆を与えるものだった。

 その実績を背景に、ロシアは日本に対しても「日ソ共同宣言」(1956年)に基づいて歯舞、色丹の2島引き渡しに応じると提案し、「日本が拒否するなら1島たりとも渡さない」(ラブロフ外相)と通告してきた。

 それなら、この半世紀にわたる交渉はなんだったのか、ということになるが、それと共に、歯舞、色丹が面積でいうと北方領土のわずか7%にすぎないという事実に注目すべきだろう。
 日本に7%を渡すという提案は、すなわちロシアの取り分が93%だとふっかけているわけだ。それに対して日本の要求は4島(百%)だから、ロシアの本音(落としどころ)は、93%の半分で、つまり百に対しては46.5%になる。これは日本に53.5%を渡す「可能性がある」という誘いだと読むことができる。

 通常の外交交渉では、双方ともに「51%勝った」と思える決着がベストだとされる。これを「win-win」スタイルと呼ぶ。どちらかが一方的に「勝った」と思うような交渉は「win-lose」スタイルとして、長期的にはよくない決着とされる。

 ソ連の交渉術は、CIAを始め西側の専門家によって研究しつくされてきた。日本でも木村汎氏の「ソ連式交渉術」(講談社、1982年)などが公刊されている。プーチンがソ連時代に逆戻りした以上、ソ連式の交渉術を駆使して日本をねじ伏せにかかったとみていいだろう。
 すると、この2島引き渡し提案は極めてトリッキーだということが分かる。日本の交渉当事者(外務省、政治家)に、51%以上取れて「勝った」と国民に言い訳できると思わせかねない仕掛けがしてある。

 もちろん日本にとっては、北方領土は国後、択捉の2島をふくめて一体であり、これらの島の上に国境線を引くことは全く考えられない。したがって、これら4島すべてをまとめて返還させるためには、ソ連式交渉術以上の方策をもって対抗しなければならない。

 結論は簡単である。半世紀以上前から、北方領土を限定して返還せよと要求したのが小さすぎたのだ。ソ連相手には、正直に百パーセントを要求して満額を得ようとしてもまったく無意味だった。百パーセントを得ようとするなら、まず二百パーセントを要求して交渉に入るべきだったのである。

 これは決して無謀なことではない。ソ連はポツダム宣言(降伏条件)に反して不法に北方領土を奪取したのみならず、さらに同宣言に違背して60万人以上の日本人捕虜を帰国させず、シベリアに拉致して強制労働に酷使し、うち6万数千人を死亡させている。この賠償を要求しなければならない。
 また、ソ連は講和条約を拒否したのだから、日本は北千島18島と南樺太を返せという権利が生じたということができる。

 ソ連の独裁者スターリンは、旧ロシア帝国が日露戦争で失った領土を取り戻すということを、国内向けの大義名分にした。それならばソ連の取り分は南樺太だけでいいはずだから、日本は百歩譲ってもそこを狙い所として、南樺太と南北千島列島のすべてをまず交渉に乗せるべきだった。それにプラスして、拉致された旧日本兵の賠償を要求するのがスジだったはずだ。

 今年は日本とロシアの国交150年という祝賀すべき年である。それを記念して2月22日に衆議院が「日露修好百五十周年に当たり、日露関係の飛躍的発展に関する決議案」を満場一致で可決した。近く参議院も同趣旨の決議を行うことになっている。

 ほとんど誰も気がついていないが、この決議には「歯舞、色丹及び国後、択捉等の北方領土の帰属の問題を解決して平和条約を、、」という文言が入っている。
 どうです、何か気がついたかな?

 タネ明かし。「等」の一字。

 この「等」が、誰かの深慮遠謀か、それとも単なるお役人の習性で付け加えたものか、実に興味のあるところだ。この一字がこの種の公文書、国会決議などに初めて入れられたのか、はたまた半世紀前から入っていたのか、それも大いに疑問である。旧ソ連ウォッチャーや現代ロシアの専門家は数少なくなってしまったようだが、この点をどう把握しているだろうか?

 ロシア外務省は24日、この一字に早くも強い不快感を表明した。さすがである。テキは自分たちの交渉術を逆に使われるのではないかと直感したのだろう。日本は遠慮なく50年前に戻って交渉を再構築すべきである。(05/02/26)


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