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平成17年5月6日

             献花台は絶好のイメージ教材

 前コラムの続きになる。JR西日本福知山線の大事故はあってはならない悲劇だが、そこには日本人が教材として受け取るべき多くのことが浮かび上がっている。

 最初に目に付いたのは、線路際に急造の献花台が置かれた光景だった。この献花台はすぐいっぱいになり、少し移動して大きな台になった。ついで一般の人々が近づけないという苦情のためにまた移動し、今は公道から入れる立派な焼香台兼用の祭壇に発展した。

 実は、これが神社そのもの。政府は外国にこの光景を積極的に紹介すべきだ。

 神社がなんなのか、中国人はまったく知らないで靖国参拝を「歴史問題」として攻撃材料に使う。なぜ日本は正面から反論しないのか。
 おそらく反論できるほどの理論武装ができていないからだろう。つまり、日本人自身が神社というものを正確に理解していない(その必要がなかった)からである。

 献花台に並ぶ人々は、犠牲者を悼むという心だけで足を運ぶ。そこに遺体もなければ墓もないことを知っている。「霊を慰める」という精神文化の表れである。

 今回注目されるのは、運転士に相当大きなミスがあったのだろうと誰でも感じていることである。こういう場合、献花する人々はいちいち「運転士を除く犠牲者に捧げる」と口に出したり、そういうカードを付けて献花するだろうか。

 そんな人はおそらく1人もいないだろう。そんなことを考えもしないのが日本人の特徴ではないだろうか。だから、神社というものが成立するのである。
 日本全国、どこの神社に誰が祀られているのか、いちいち知っていて参拝する人がどれだけいるだろうか。

 よく知られているように、神社には鎮魂の意味が込められている。だから、時の権力に刃向かった逆賊を祀った神社も珍しくない。出雲大社は大和朝廷に滅ぼされた出雲王権を鎮魂するために創建された。勝者の大和朝廷は、自分たちの氏神である伊勢神宮より大きな神社を造って慰めた。日本人がふつうに知っているべき逸話である。

 犠牲者のなかにいわゆる在日という人々が少なくとも2人はいたようだが、韓国や北朝鮮が「運転士を含む献花台はけしからん」と抗議しているだろうか?
 もし、中国人留学生などが含まれていたとしたら、中国政府は「運転士を分祀しろ」と要求するだろうか?
 要求しないなら靖国神社を外交の具に使うことと矛盾するんだゾ、と中国人に説明したらいい。神社を理解させるいいチャンスだ。

 実はアメリカ人には分かりやすい話である。ときどきコロンバイン高校事件のような乱射事件が起きる。そうするとコミュニティでは自発的に集まってたくさんのローソクに火を灯し、花束を供え、みんなで「犠牲者と加害者」のために祈りを捧げる。このパターンはいつでもどこでも見事なほど一致していて、整然と、美しく行われる。

 注目点は、その際に決して加害者を除外しないことである。これはキリスト教の教義(汝の敵を愛せよ)だけでなく、米国特有のコミュニティを重視する歴史・文化がそうさせているのではないかと思われる。なぜ加害者を除外しないのか、アメリカ人はほとんど意識さえしていないだろう。つまり、日本人と同じ感覚である。

 歴史や精神文化が大きく異なっていても、神社はアメリカ人にいちばんよく理解できる要素をもっている。アメリカに対してもそこを再認識してもらういいチャンスである。

 以下、ほかに教材として気がついたこと。

 JRだけでなく、日本の強みだと信じられてきた勤勉、ものつくり、職人魂、責任感、といったものがかなり怪しくなっているという事実。

 JR西日本だけでなく、大企業、基幹産業の経営者の退廃ぶり。

 黒でなくふつうのネクタイをしているJR西日本幹部。極めつけは芸能人のような白の上下の天王寺車掌区長が登場したこと。あの年齢で冠婚葬祭の常識を教えられていないのか!!!
 大声でなじる遺族が続出。悲しみをじっとこらえる文化があったはず。これもテレビの影響か。

 取材記者が居丈高。これも退廃。

 新幹線を中国に売り込む愚。事故は必ず起きる。責任はすべて日本に。

 わざと最後にもってきたが、なぜ小泉首相はすぐ現場に飛ばないのか?
 ローマ法王の葬儀に行かなかったと批判された直後なのに、、。(05/05/06)

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