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平成17年5月30日

           日本の服属を確認したい新中華帝国

 国際政治学では基本概念のひとつとして、現代の世界には3つの国際体系があり、そのうち最近まで支配的だった「西欧(近代)国際体系」に「イスラム国際体系」と「東アジア国際体系」が急速に挑戦の姿勢を強めていると教える。

 われわれ日本人は「西欧国際体系」にどっぷり浸かってしまっているから、あとの2つの体系がどんな形をとって、挑戦してくるのかがよくわからないのだと思われる。

 しかし、イスラムの挑戦はもう日本人にもかなり理解が進んだので、同じ見方を東アジア国際体系の挑戦に適用すれば、わかりは早いはずだ。

 東アジア国際体系とは、ずばり「中華思想(華夷秩序)」のことである。この世界観にはもともと国際という概念はないし、国と国が対等という意識もない。あるのは、中華が世界の中心であり、四夷はすべて中華の徳に慕い寄るものだという自己認識だけである。

 中華は19世紀半ばのアヘン戦争敗北以来、その誇りを傷つけられ放題になり、1911年の辛亥革命で公式に否定され、さらに49年の新中国(共産党政権)確立で心理的にも完全に消滅したはずだった。
 それが90年代になって息を吹き返した。皮肉にも中国が天安門事件(89年6月)で国民に銃口を向け、冷戦終結ムードの世界(西欧体系)から強烈な批判を浴びたとき、中華思想のDNAがよみがえったとみて間違いないだろう。

 迷惑なのは日本である。江沢民主席が意図的に愛国教育すなわち反日教育に熱を入れだしたのは、この変化の顕著な現れだった(当コラム 03/09/30<誰が遺棄したのか「遺棄化学兵器」>参照)。
 江主席が98年11月、国賓として来日した際に、行く先々で「歴史認識」を要求し、宮中晩餐会に正装要請を蹴って人民服で臨み、天皇が訪中時の礼を述べたのに対し完全無視の非礼をあえてして見せた。

 この直後、共同通信が注目すべき配信をしている。それは、江主席の訪日前、中国共産党と政府の高級幹部に「日本はもはや一流国ではない」という趣旨の文書が配布されていたという記事だ。
 それによると、当該文書は「21世紀に向けた中日関係について」と題され、日本が「これまでは世界第2の経済大国で将来は政治大国になるとの見方が一般的だった」が、「日本は一流の強国とは言えず、日本の実力と成長に関する認識に重大な修正を加えなければならない」とする。

 そのつづきはさらに重要である。歴史認識が「関係発展の主要な障害」とし、「関係を破壊する人物には厳正に対処する必要がある」と主張し、「中日関係の重要性は中米、中露関係より低い」と結論づけている。

 江主席の訪日時の言動と、その後の中国の対日態度はまさにこの通りに推移している。共同電をキャリーしたのはなぜか毎日新聞だけで(引用は同紙98年12月2日付)、他のメディアはみな無視してしまったらしい。しかし、今にして思えば、これはトップクラスの特ダネだったのである。

 中国の政治体制からすれば、この認識修正は中国共産党の最高レベルで機関決定されているのだろうと考えざるを得ない。だからこそ、主席を始め、すべての党・政府幹部があらゆる場面において日本を格下扱いすることになる。そうしなければ自分の落ち度になってしまう。どうして日本がそこに気づかないのだろうか?

 もう一つ、日本人が気づいていない国際変化がある。それは日本が格下に落とされたことに呼応して、2000年に「二千円札」を発行したことである。

 このお札の絵柄は沖縄に現存する旧琉球の通称「守礼門」である。つまり琉球王が中華の冊封使を迎えるために立派な門をつくり、「服属の態度がよろしい」と認められて「守禮之邦」という扁額を掲げたという来歴のある建物である。

 守礼というのは歴史的に「中華に臣従いたします」という意味で、それを中華のほうが認定する。琉球は実効支配を受けなくても模範的な朝貢国として認められていた。薩摩藩の武士に実効支配され、幕府にも朝貢していたから「両属」と呼ばれる地位にあった。

 そうしたいわく付きの「守礼」を日本は新発行の紙幣に刷り込んで見せたのである。琉球の日本化どころか、「日本国の琉球化」宣言というべき奇行だった。
 これで、中華が企んだ日本属国化計画はあっけなく完成した、、、と思ったことだろう。しかし、それで満足しないのが中華の神髄である。守礼は1回で終わるものではなく、何度も繰り返されなければならない。

 それであらゆる幹部・要人が日本に対して「臣従のまことを態度で示せ」と要求することになる。
 しつこい「歴史認識」要求、総領事館侵入や領海侵犯などの国際法無視行為、破壊デモ容認などなど、すべて日本を格下扱いし、中華は無謬であって属国は抗議などする立場ではないという関係を繰り返し確認しようとする。

 そういう中華思想の原則が分かれば、中国の対日態度はきわめて分かりやすいのである。たとえば、朝貢が象徴するように、中華は「繰り返し呼びつける」のが基本である。日本からは毎年、三桁の数の国会議員が「招待されて」訪中するが、向こうからくる要人は少ない。
 逆に中華が属国に派遣する場合はわざと「低官」を送り、それを皇帝として崇め奉れと要求する。琉球王は冊封使を皇帝に対するのと同じ「三跪九叩頭」の礼で迎えた。

 こんどの呉儀副首相のドタキャン欠礼もそれで説明が付く。副首相とはいいながら党内ナンバー20ぐらいの低官を日本によこし、胡主席か温首相並の待遇で小泉首相が迎えるよう要求した。
 さすがに小泉さんはそう約束しなかったので、中華の論理としては「日本側の態度が悪い」と責任を転嫁してドタキャンしたわけだ。靖国など理由はどうでもいいのであって、彼らに大事なのは服属した日本に何度でも繰り返し確認させることである。ODAもやめるなら別の名目で続けろ、ということになる。

 同じ中華思想に「得たり」とばかり飛びついたのが、歴史的朝鮮半島の人々である。なぜ、韓国が急に居丈高になったのか、なぜ北の独裁者は日本の政治家を呼びつけるのか、なぜ小泉さんは巨額のお土産を持って2度も続けて行ったのか(3度目の要求があるとも、、)、すべては中華の真似をしたがる半島文化が公然と鎌首をもたげたというしかない。

 朝鮮の小中華思想は理解しがたい。室町時代から日本に呼びつけられて使節を送り続け、実効支配はないものの琉球と似た両属の地位にあった。そのくせ、明国を滅ぼした清朝や明治維新政府に「中華に遠い国は認めない」と虚勢を張ったりして、そのたびにガツンとやられている。

 日本はあまりにも近代化しすぎたため、西欧国際体系の枠外で動いている国や文明があるということ、そしてそれらが日本に対してもダイレクトに挑戦していることが理解できない。
 百年前の「脱亜入欧」論と、最も新しい「アメリカか東アジア共同体か」論までの間に、何か進歩があったのだろうか。大陸「中華」も半島「小華」も本卦帰りが顕著だ。しかも両方とも日本を標的に選んでいる。

 もともと日本も「中」中華であって、本中華に服属していなかったのに、そのことを日本人自身が忘れてしまったのだ。日本はどこへ帰る? 帰らない? (05/05/30)

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