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平成17年6月30日

        政府に「屠殺」と刷り込まれた中国民衆

 産経などのメディアがいつかは書くだろうと期待していたが、一向にこの重大な誤訳について真相が明らかにされないので、とうとう当コラムで書かねばならなくなった。

 またぞろ、敗戦記念日が近づくにつれて、いわゆる南京事件がテレビ等でとりあげられているが、あいかわらず右も左も「南京大虐殺」と誤訳して使っている。南京には「大虐殺記念館」があるということも広く知られるに至っている。

 しかし、この記念館の正確な名称は「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」である。大虐殺ではなく大「屠」殺であって、この違いは月とスッポンぐらいの差がある。

 屠殺とは「食べるために殺す」という意味だ。なぜ中国人が日本人に対して全く理解できないほどの敵意を示すのか、その答えがここに潜んでいるのである。 
 日本に留学してきた中国人や、日本で雇用されている中国人が、お世話になった恩人のはずの日本人を惨殺する事件がときどき繰り返される。彼らの心の闇の部分は憶測するしかないが、生まれたときからオトナによって「祖父母や親類縁者が日本人によって屠殺され、食べられた」と教え込まれているとしたら、その影響が時限爆弾としていつ爆発するか、考えただけでもソラ恐ろしい。

 文字の国である中国が、たった一字で、日本に対する計り知れない恨みを民衆に植え付けようとたくらみ、そして見事に成功した。なぜか日本人はそれを知らず、文字を商売にする活字メディアも、いまだに「屠殺」を「虐殺」と誤訳することで、かの国の最も成功した対外戦略に協力し続けているのである。

 虐殺は、一般に「むごたらしく殺す」という意味だが、実際には「大」をつけないと意味をなさない。英語ではふつう"massacre"というが、これも「大」という意味合いが入っている。ニクソン政権下で側近を数人、いっぺんに解任したときも「土曜の夜のmassacre」と報道された。第2次欧州大戦の初期に、ソ連軍がポーランド軍将校を数千人単位で拉致し処刑した事件も「カチンの森のmassacre」と呼ばれる。

 屠殺は全く別で、食べるために動物を殺すことである。さらに念を入れると、「殺して食べた」(飢餓のために仕方なく)という意味ではなく、はじめから「食べる目的で殺した」という意味合いである。中国の子供たちは、当時の日本が貧しくて、国民を食べさせることができなかったので、兵隊を増やして中国に送り、中国人を家畜と同じに殺して食料にしたと刷り込まれてきた。たった一字で、それほどのイメージを持たせることができるのである。

 南京事件を中国政府が日本の悪行の象徴に仕立て上げた背景には、この「大屠殺」を民衆に刷り込むのにいちばん都合がよかったからであろう。日本が中国民族を抹殺する目的を持っていたというような宣伝をしても、「ナチスと並べるウソ宣伝だな」と受け取られてパンチ力がない。焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くす「三光作戦」を日本軍が立てていたという大非難も、日本語の「光」にはそういう尽くすという意味はないので、中国軍同士(国民党軍と共産党軍)の宣伝合戦ということがバレてしまった。

 結果として残ったのが、南京大「屠」殺というマインドコントロールだった。日本に伝わってきた情報では、中国政府はその記念館の敷地を3倍に拡大し、ユネスコの「世界文化遺産」に登録させようと目論んでいるという。
 アウシュビッツや広島原爆ドームがすでに登録されているのだから、南京もそれと同じ扱いにすべきだという論理らしい。

 日本政府は宮沢、村山両内閣時代に、従軍慰安婦、強制連行、毒ガス兵器遺棄といった中国の言い分を何の証拠もなく唯々諾々と認めてしまった。認めれば相手が満足して攻撃の手をゆるめると思ったのかもしれない。が、もう目が覚めたことだろう。そういう相手ではない。

 中国が南京大「屠」殺を対日のみならず対世界情報工作に拡大しようとするのは、ほかにも理由があるからだ。それは第1次南京事件(1913年)と第2次南京事件(1927年)が、中国軍民による日米欧の住民に対するテロとして知られているからである。

 当時も中国政府が背後で糸を引いて民衆を排外デモに駆り立て、欧米人を攻撃させた。日本人も両次で数人が犠牲となった。スティーブ・マックイーン主演の「砲艦サンパブロ」は、第2次事件当時の中国人がいかに残忍で狡猾で、自国民を殺してそれを米兵の仕業だとして外交問題化させようとするなど、今と変わることのない謀略巧者ぶりを余すところなく描いている。

 南京を、日本人による大「屠」殺の地として世界に認めさせることに成功すれば、それに先立つ都合の悪い第1・2次南京事件は歴史に埋没させてしまえる。一石二鳥だ。

 そこまで分かってくれば、日本が何をすればいいのか自ずから分かってくる。第1次から第3次までの南京事件で、それぞれ何人がどのようにして犠牲となったのか、日米欧による国際的な調査を提案したらいい。中国は応じないだろう。それでいいのである。応じないなら、大「屠」殺記念館の閉鎖撤去を要求すればいい。日本も国際社会を巻き込んで反撃外交を展開することだ。「屠」の字を誤訳するメディアの責任も重い。(05/06/30)


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