top.gif
title.jpg

平成17年7月30日

        問題な(カイロ・ポツダム文書の)日本語

 前コラムの続きになる。テキ(相手)が意図して使う言葉遣いに無関心な日本、という恐ろしいテーマをさらに展開してみよう。

 敗戦60年という節目で、人間ならば還暦という一巡を意識する年である。さすがに全国紙では見開き数面を使って、60年前の苦い瞬間を回顧する特集を組んでいる。

 しかし、その中で、たとえば毎日新聞の特集(7/21)にはポツダム宣言の抄訳が載っているが、現在まで持ち越している最も重要な問題には触れていない。それは宣言自体の違法性(国際法違反)であり、文言の異様さである。

 ポツダム宣言はいわゆる「カイロ宣言」(1943年8月1日発表)を下敷きとしており、第8項に「カイロ宣言の条項は履行せらるべく」と条件づけられている。これで日本本土の外の領土はすべて失われることになった。

 しかし、カイロ宣言には次のように書かれている。

「連合国(米英中)の目的は1914年の第1次世界戦争の開始以後に於いて日本が奪取し又は占領したる太平洋に於ける一切の島嶼を日本国より剥奪すること (that Japan shall be stripped of all the islands in the Pacific which she has seized or occupied) 」

「満州、台湾及び澎湖諸島の如き日本国が清国人より盗取したる一切の地域  (all the territories Japan has stolen from the Chinese) を中華民国が回復すること」

「日本国はまた暴力及び強欲に依り日本国が略取したる他の一切の地域より駆逐せらるべし  (Japan will also be expelled from all other territories which she has taken by violence and greed)」
 
「三大国は朝鮮の人民の奴隷状態に留意し  (mindful of the enslavement of the people of Korea)  朝鮮を自由かつ独立のものたらしむるの決意を有す」

 以上の4つの断罪はよく知られているものだが、1番目は明らかに「冷静な」国際法違反である。日本は第1次大戦の勝利者側の一員であり、ベルサイユ講和条約によってドイツの旧植民地の一部(マリアナ諸島など)を、国際連盟の委任統治領として引き継いでいる。歴史的には典型的な植民地獲得競争の最後のひと切れであるが、当時の国際法による非の打ち所のない支配権であって、奪取でもなんでもない。seizedを「奪取」と無理に悪い印象の漢字にするのも感心しない。

 これは英米首脳の人種差別意識を露骨に表したものであろうが、2番目と3番目の言いまわしは中国首脳、すなわち蒋介石の対日偏見と歴史的傲慢(中華思想)をそのまま露呈したという感じが強い。

 台湾などは清帝国が日清戦争に負けて日本に譲ったもので、日本が「盗んだ」とはよく言ったものだ。下関条約(1895年)は当時の国際法で完全に認められている。満州は清を滅ぼした後の中華民国が実質統治できないままでいたのだから、「清国人から盗んだ」というのは歴史の歪曲だ。

 3番目の文言は、ソ連が興味を示すはずの千島・樺太のことを念頭に置いていたと思われるが、これも日露間で千島・樺太交換条約(1875年)などの歴史的経緯があり、さらに当の英米などが日本を支援した日露戦争の講和条約(ポーツマス条約、1905年)も、むろん国際的に問題なく認められていた。take を「略取」と悪く翻訳するのもおかしい。

 4番目の「奴隷状態」は、朝鮮半島をソ連に取られたくない蒋介石が、slave という英語に敏感な米国人ルーズベルトを巧みに取り込んだ結果かもしれない。朝鮮より完璧な植民地である台湾に関して、同じ表現を使っていないところがミソだろう。

 したがって、いわゆる「カイロ宣言」なるものは、日本に対するいわば腹いせの「ののしり合唱」というようなものにすぎない。昨今の北朝鮮の対日非難アナウンスのようなもので、歴史的な外交文書としては検証に耐えられないだろう。 

 事実、この文書はルーズベルト、チャーチル、蒋介石の三首脳が署名しておらず、米国立公文書館の記録では単に「カイロ コミュニケ(発表)」となっている。発表文の現物をネットで見られるが、たしかに大西洋憲章(米英の対ナチ同盟、1941年)のような公式文書とは大違いだ。
 のちに英国政府は文書の存在を否定したという話もあり、どうやら原本にあたる三首脳署名の公式文書は作成されなかったようだ。さすがに「ののしり合唱」だという自覚はあったのかもしれない。

 カイロ文書には、最後に「日本国の無条件降伏」まで戦うという文言があり、これと混同しやすいのがポツダム宣言の第13項である。「日本政府は直ちに全日本軍隊の無条件降伏を宣言し、その実効を保障せよ」という趣旨の降伏条件で、比べて読めば違いは明らかだ。
 国の無条件降伏というのは西欧的概念とは異質の、やはり中国的な発想のように思われる。

 もう一つ、カイロ文書では3国が「自国の為に何等の利得をも欲求するものに非ず、また領土拡張の何等の念をも有するものに非ず」と明言している。この文言は上の日本断罪文と矛盾しているので、外交文書としてはやはり欠陥文書であり、効力はないと判断すべきである。

 すなわち、こんな文書を下敷きにしたポツダム宣言は欠陥だらけであり、少なくともカイロ宣言に関する部分は当時から国際法違反であったということは明らかだ。日本政府は60年目の節目に、このことを国際的に公表したらいい。それで領土が戻ってくるわけではない。返せと直接いわなくてもいいのである。

 韓国と北朝鮮は最近、日韓併合条約(正しくは「韓国併合に関する条約」、1910年)が当初から無効だったということで合意した。むろん当時はすべて合法であり、国際社会から抗議のひとつも出なかった。それでも百年近くたって、あれは合法でなかったと平気で言い出す国がある。

 これも、日本がポツダム宣言のなかの国際法違反を今まで放っておいたツケというべきだろう。反日行動でますます北に取り込まれていく韓国が、日韓併合から始まって合法的な戦後処理のすべてにおいて、日韓の取り決めは無効だ、再交渉すべきだと主張してくるのをどうハネ返すか。
 
 日本は、非合法な降伏条件を非合法だったということすら言えず、60年を過ごしてしまった。事後法で裁いた東京裁判についても同様だ。すべては日本人自身のまいたタネ(あるいはまかなかったことのツケ)であることを自覚しなければならないだろう。(05/07/30)

コラム一覧に戻る