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平成17年12月30日

          終結で逆になった冷戦の被害者・受益者

 現在の学生諸君には冷戦のイメージが湧かなくなってしまったらしい。無理もない話で、二十歳前後の年頃では15〜6年前のベルリンの壁崩壊やマルタ島会談(1989)のときには、まだ小学校にも入っていなかったぐらいだから仕方ないだろう。
 
 91年末にはソビエト連邦が崩壊して冷戦終結の駄目押しとなり、同じころには日本のバブル景気が破裂していた。大学生から下の世代は、このあとの時代しか記憶にとどめていないことになる。

 そこで、現代史における日本の位置取りを学生に理解させるために、冷戦の被害者と受益者という概念を用いている。これは経験的にかなり有効なイメージ活用法である。

 冷戦の被害者としていちばん適例なのはバルト三国だ。東西の冷戦は第二次大戦中にすでに始まっており、開戦の翌1940年にはもうエストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国はソ連邦に強制加入させられ、国の独立を喪失した。
 さらに45年2月のヤルタ会談で米英両国がバルトの現状を追認してしまい、西側にも見捨てられた形になった。

 約半世紀のソ連支配ののち、バルト三国は冷戦終結に呼応して直ちに独立回復宣言を発し、実際にソ連崩壊直前の9月、ゴルバチョフ大統領に独立を認めさせた。

 独立回復後の三国は、駐留していたロシア軍の撤退を実現させ、2004年3月には北大西洋条約機構(NATO)に加盟し、同年5月にはヨーロッパ連合(EU)にも加盟が認められた。つまり、完全に西欧の仲間入りを果たしたわけである。

 このように冷戦の被害者であったバルト三国は、冷戦終結によって明らかな受益者となった。

 このちょうど真逆がユーゴスラビアである。ヨーロッパの火薬庫とまでいわれたバルカン半島は、ソ連にほとんど軍事制圧されることによって内部抗争を抑え込まれ、チトーというすぐれた政治指導者が率いる連邦国家にまとまることができた。
 チトーは、スターリンがソ連型共産主義でソ連邦内の民族自我(いわゆるNationalism)を絶滅させ得ると考えたのと同様、ユーゴでも独自の社会主義でバルカン半島の民族自我を克服できると考えた。

 しかし、結果はソ連と同じだった。チトーの死(80年)と共にユーゴ連邦は揺れはじめ、冷戦終結に伴って6つの共和国が激烈な内戦に突入した。多数派のセルビア人によるモスレム人(イスラム教徒)絶滅の試みさえ窺えるに至り、NATO軍が域外派兵して実力で制圧する事態にまで発展した。

 現在、旧ユーゴ連邦は新ユーゴ(セルビアとモンテネグロ)、クロアチア、スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア旧ユーゴスラビア共和国(暫定国名)の五独立国に分かれ、さらにセルビア内のコソボ自治州(モスレム多数)の地位は未定のままという不安定状態にある。

 つまり、ユーゴは冷戦によって歴史上初めての統一を実現し、東欧圏にあってソ連べったりではない独自の存在を示すことができた。国際的にもチトーは、エジプトのナセルやインドのネルー、インドネシアのスカルノなど、いわゆる第三世界のカリスマ指導者たちと並ぶ存在感を誇った。
 明らかに、冷戦の受益者だったのである。

 それが、冷戦終結と共にすべてが逆戻りし、25万人以上といわれる犠牲者を出す内戦になった。それでもまだ先が十分に見えていない現状である。

 このように対比させてみると、冷戦の被害者と受益者が、冷戦終結で逆になるということがよくわかるだろう。

 さて、そうすると、わが日本はどうなのだろうか?

 これが、問題です。

 そう、日本も実は、後者のタイプだと考えざるを得ない。
 日本も、明らかに冷戦の受益者だった。

 ヤルタ会談ではルーズベルトの死にかけた頭のおかげで、不法不当に領土と権益を奪われてしまったが、その数ヶ月後にはトルーマンがスターリンの北海道進駐を水際で断固はねつけた。日本占領も事実上、アメリカだけで行われた。

 占領が短期で終了したのも、小笠原諸島と沖縄が返還されたのも、冷戦があったからこそである。日本の順調な経済復興と世界第2の経済大国への発展も、それが可能な環境があったからである。

 しかし、冷戦が終結したあとどうなったか。日本はバルト三国と違って冷戦の勝利者だったはずだ。冷戦構造がアジア・アフリカ・中東の熱戦をともなう第三次世界大戦だったとすれば、勝ち組である日本は何か明らかな利益を得ていないとおかしい。第一次大戦のあとの日本を思い出してみるとよい。
 
 ところが実際は、負け組のロシアに「北方領土を返せ」とも言えず、逆に領土は遠のいてしまった。外交ではロシアと同じ負け組の中国に、あからさまな属国扱いを受けるまでになった。国連常任理事国入りの運動はどうなったか。

 冷戦終結のあと、終結の受益者であるバルト三国は約15年かかって、西側入りの宿願を一応成し遂げた。終結の被害者である旧ユーゴは大混乱の末、まだ先が見えない。

 わが日本も、約15年の下り坂と停滞経済を経てきた。これが日本のイメージである。経済はようやく底を打ったのかもしれない。しかし半世紀に及んだ受益の大半を吐き出してしまえ、という歴史の法則があるとしたらどうだろうか。  
 知らず知らずのうちに、われわれはそういうレールに乗っているのかもしれない。そうでないことを祈りたいが、転轍機を切り替えるにはまず現状を正確に認識しなければならない。
 
 今年は戦後60年の還暦の年だったのに、その節目を全く活用できずに終わることになる。かえって活用したのは冷戦に負けたはずのロシアであり、中国のほうだった。いま一度、日本の現在位置を、冷戦の始めに戻って、イメージし直してみることをお勧めしたい。(05/12/30)
          

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