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平成18年4月24日

          超大国宣言をはぐらかされた胡錦濤訪米

 中国の胡錦濤(国家主席)訪米を、中国側の目から見てみると、戦略というものが実によく理解できる。

 今回の主席訪米は、それ自体が中国の「超大国宣言」であった。これは歴史に残る事件であり、それと対照的なのが平成10年(98年)11月の江沢民(国家主席)訪日だった。
 
 すなわち胡主席は、太平洋を挟んでアメリカと向き合う「唯一の対等な」超大国であることを、アメリカに認めさせようとした。これが戦略の目的である。

 8年前に前任者の江主席は、日本に「もはや対等な存在とは認めない」と通告するために、中国トップ初の国賓として、日本にやってきた。(バックナンバー「日本の服属を確認したい新中華帝国」参照)

 この二つの「国賓」訪問は時系列で見ても、因果関係で見ても、ちゃんと筋が通っている。中国は日本と対等の関係であれば、東アジアで「唯一の対等な」存在としてアメリカに認めさせることができない。したがって、まず、戦略として、日本を格下に落とし、中国と対等でないという勝手な認識を世界の事実として定着させる。そのために8年の歳月をかけたということになる。

 今回、中国側は異常に外交儀礼(プロトコール)にこだわり、正式に「国賓」として迎えるよう要求した。アメリカ側はその意図を察知し、国賓という用語を使わず、「実務訪問」だと突き放した。

 それでも、中国は勝手に「国賓」と表現し、アメリカが注意深く用意した造語「責任ある利害共有者」(responsible stakeholder)から、勝手に「責任ある」を除いて報道した。すでにおなじみの中華思想である。

 アメリカは当初譲歩して、個人的賓客を意味するブッシュ大統領の自宅牧場への招待を申し出たが、中国は「02年に江沢民主席が経験済みだからダメ」と蹴って、あくまで国賓として公式晩餐会(State Dinner)を要求した。

 アメリカは晩餐会だけを拒否して昼食会とし、そのほかは最高の21発礼砲、儀仗兵閲兵、迎賓館宿泊などで妥協してみせた。

 外交とは武器を用いない戦争だということがよく分かるだろう。アメリカもよく対抗したが、中国は勝手に都合よく解釈して宣伝する国だから、国内向けにはアメリカと対等の超大国になったと一斉に教育が行なわれることになる。

 では、日本はどうすればいいのだろうか?

 6月末に小泉首相が国賓として訪米する。外交慣例として、首脳が何回訪問し合っても、国賓として招待されるのは在任中1回だけとなっている。小泉さんは以前にブッシュ大統領の自宅牧場や、ワシントン郊外の大統領別荘キャンプデービッドに招かれているので、今回は仲良し大統領が趣向を凝らして、テネシー州メンフィスのエルビス・ブレスリー邸(国定史跡)を自ら案内すると報じられている。

 もちろん、公式晩餐会を頂点とした最高のもてなしを受けることになっている。アメリカはそうすることで、「太平洋を挟んだ本当のパートナーは日本だよ」と中国に通告する意味合いを持たせている。

 しかし、だからといって日本が何もしなくていいということにはならない。首脳同士の個人的友情は一方が退任すればおしまいになる。日米が首脳個人を超えた本当のパートナーだとしても、日本が自称超大国の中国に従属していると見たなら、アメリカの認識はまちがいなく変化するだろう。

 胡錦濤主席は、昨年10月に北朝鮮とベトナムを訪問し、さらに温家宝・首相がこの4月初め、オーストラリア、ニュージーランド、フィジー、カンボジアを公式訪問し、フィジーでは第1回「中国-太平洋島嶼国経済発展協力フォーラム」を招集した。これは日本の財団が88年から始めた「太平洋島嶼国会議」(10ヵ国)の明らかなパクリ、つまり日本の役割と実績を故意に横取りしたものだ。

 もっとあこぎなことに、集まった島嶼諸国には30億元(約450億円)の巨額援助を約束し、台湾と断交すれば債務を帳消しにするという露骨な圧力をかけた。 これより先、賈慶林党政治局常務委員がベトナム、インドネシア、マレーシアを歴訪している。

 その上、胡主席は訪米直前の4月16日、台湾の連戦・国民党名誉主席(前主席)と人民大会堂で1年ぶりの「国共会談」を演出して見せた。
 かつての内戦の相手方、国民党は現在野党に転落しており、独立色を強める陳水扁政権に対抗するためには、大陸の共産党政権による「国共合作」に呑み込まれるしかない状態にある。

 このように、胡主席は訪米前に、東アジア・太平洋はすべて中国の影響下にあるということを、アメリカに見せつける外交を展開していた。それに対して日本は何も対抗策を打ち出さなかった。

 これから6月末の小泉訪米までに、中国を上回る巧妙、かつ大規模な外交活動を展開するのだろうか。大体、そういう発想があるのだろうか。きわめて疑問である。

 胡主席の訪米に際して、中国は二国間の経済問題(米側の不満)を緩和するため、ボーイングB737を80機発注したり、牛肉輸入を再開したり(条件付き)、マイクロソフト社を訪れて知的財産権保護を約束したり、といったように、ある意味では涙ぐましいほどの配慮を重ねた。

 しかし、そういう小技(わざ)の背景に、歴史を変えるような外交戦略、すなわち大業(わざ)を展開しているのである。

 振り返ってみると、日本は対米関係でも、牛肉問題や基地再編問題といった二国間の小技だけに全精力を使い果たしているように見える。かつては先進国サミットの前に、日本の首脳がアジア諸国を回ったり、太平洋島嶼諸国を招集したりして、アジアの意見をまとめてサミットに臨むという習慣があった。
 そうした自覚と外交ノウハウは、どこへ行ってしまったのだろうか?(06/04/24)


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