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平成18年6月26日

        小泉訪米の直前、なぜ戦没者墓苑拡充案か

 小泉政権の締め括りを飾る米国公式訪問の直前、あっと驚くような靖国関連の大ニュースが弾けた。
 
 自民党の中川秀直政調会長が6月23日、小泉首相に「政府資産の売却で千鳥ケ淵にある官舎などをすべてつぶすのだから、公園のように広くして無名戦士の墓に使うべきだ」と進言、国立千鳥ケ淵戦没者墓苑の拡充を提案したという。 
 小泉さんにとっては不意打ちだったようだ。記者団の質問をはぐらかしておいて、週末にじっくり考えたあげく、26日夜になって、「よく検討してください」と中川氏に指示したことを明らかにした。

 実は、『大礒正美の よむ地球きる世界 <日本はどうなる編>』第六章「それでも首相は靖国に参拝する」に、単行本のための書き下ろしフォローアップとして、そのことに言及しているのである。(下に一部をコピー)

 中川政調会長が、私の示した方向性に沿った解決法を考えているのかどうか、老練な政治家のことだから現在の段階では分からない。しかし、戦没者墓苑が靖国神社と関連づけられたことは確実であろう。

 一方で、麻生外相は靖国の特殊法人化を示唆する発言をしており、政府が旧戦犯の合祀について合法的に指導力を握る方向性を提示しているようにも解釈できる。

 中川提案は靖国神社に触れないで、新たな国立追悼施設創設案を否定する効果を持つが、そうかといって靖国神社をそのままにしていいと言ってるわけでもない。実に巧妙であり、なによりも小泉訪米の直前に打ち上げたことがポイントであろう。まさに、絵に描いたような「バロンデッセ」(観測気球)である。
 ブッシュ大統領を始め、米国政府や議会、メディアなどは、それぞれが自分の都合のいいように解釈して、とりあえず小泉首相を最大限に暖かく歓迎することになるだろう。

 自民党にも知恵者はいるのだなと感じさせる一手である。

 以下は「よむきる」本のために書き下ろした一節で、口語体になっている。
 

 国民は、首相の5回目の参拝(平成17年10月17日)が見るからにおざなりで、拝殿にも昇らず、平服のズボンの右ポケットからコインを取り出して無造作に賽銭箱に投げ込んだシーンだけを、いつまでも思い出すことになるでしょう。

 一方、麻生太郎外務大臣が平成18年1月28日、講演で「総理ではなく天皇陛下の靖国参拝」がスジだという意味の発言をしました。例によってまた内外の反対派から批判が集中しましたが、これは実に真っ当な考えで、ねじ曲げられてしまった靖国問題を本筋に戻すにはこれしかないのです。

 戦後、両陛下は独立を回復した昭和27年の10月に続き、靖国神社創建百周年記念の昭和44年10月、終戦30周年の昭和50年11月の計3回、靖国神社に参拝されています。いずれも8月15日ではなく、何かの記念の年という意味を持たせていると思われます。
 この慣例でいくと、平成17年に終戦60周年ということで今上陛下が参拝されてもよかったと思いますが、さすがに政争のさなかでは無理だったということでしょう。

 参拝を政治問題にしてしまった最初の責任は三木武夫首相にあります。三木氏は昭和50年に、春(例大祭)に続いて8月15日にも参拝しようとして批判され、「私的参拝」だと自ら規定しました。これが、大間違いだったと言わざるを得ません。

 その二代あとの大平正芳首相はクリスチャンでした。キリスト教徒が異教の神を拝することはできない。しかし職務上、公的に敬意を表することは何の支障もありません。国賓が訪問した国で必ず儀仗兵を閲兵し、無名戦士の墓に花輪を捧げるのは国際慣例です。個人としての信仰や信条が別でも、公的立場の行動はそれに縛られることはないのです。
 つまり、大平首相のケースは国際標準に重なるもので、私的はありえず公的に参拝した(計3回)と判断されます。
 
 ところが三木首相以来、公的私的という議論が政治問題化したため、肝心の天皇陛下が参拝しにくくなってしまったのではないか、と推察されています。皇室につながる麻生外相もそう指摘しました。天皇という存在に「私的」があるかどうか。これは難問で、誰も今日に至るまでまともに議論していません。

 ついでながら、いわゆる旧A級戦犯の合祀は三木「私的」参拝の3年後、昭和53年秋のことであり、旧B・C級戦犯の合祀はずっと早い昭和34年春のことです。昭和天皇がA級とB・C級の英霊を区別したと考えるのは無理なようです。

 したがって、このこんがらがった政治問題を本筋に戻すには、天皇陛下が公的に(という必要もなく)靖国神社参拝を再開されるのが最善のシナリオです。それが実現すれば、続いて諸外国の賓客が慣例として花輪を捧げるようになる。無宗教の新施設など全く必要ないのです。

 むしろ、千鳥ヶ淵戦没者墓苑を現状のような無宗教でなく、日本の仏教界の共同所管に移し、神道の靖国神社と一対(いっつい)のような存在にしたほうがいいでしょう。墓苑には海外から帰ってきた日本人の無縁仏35万柱が埋葬されています。お墓はお寺の所管というのが日本の伝統ですから、無縁仏に無宗教では永久に浮かばれません。
 その上で、両者を含む広大な地域を「慰霊地特区」に指定する。神社と寺が同居するのは日本独特の精神文化ですから、最も自然な形で同居させることによって、この問題は最終的に解決されるのではないかと考えます。

   
    (資料)平成17(2005)年10月25日 政府答弁書(小泉内閣)

「(戦犯)の刑は、我が国の国内法に基づいて言い渡された刑ではない」
「内閣総理大臣の地位にある者であっても、私人の立場で靖国神社に参拝することは憲法との関係で問題を生じることはないと考える。また、内閣総理大臣の靖国神社への公式参拝(内閣総理大臣が公的な資格で行う靖国神社への参拝をいう。)についても、・・・宗教上の目的によるものでないことが外観上も明らかである場合には、憲法第二十条第三項の禁じる国の宗教的活動に当たることはないと考える。」
(06/06/26)


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