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平成18年12月30日

          アメリカ帝国の必要十分条件

 国家に品格があるかないか、必要かどうか、あらまほしきか否か、本当は議論するまでもないことで、実際には国にとって必要な力(ちから)を獲得した上で、そうした装い(余裕)があればなお良いに決まっている。
 
 では国の力、すなわち国力は何をもって表現されるのか?
 
 これも実は歴史を見れば簡単に分かることで、「兵器力」と「機動力」を掛け合わせたものが、国力を端的に示している。

 大英帝国は19世紀に地球上の陸地と人口の4分の1、それに7つの海すべてを支配下に置いた。海軍力である。
 20世紀半ば、最新兵器の戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスが、植民地のシンガポールで、日本軍機に爆撃雷撃されて豪沈した。英国の兵器力と機動力の衰退が世界に暴露された瞬間だった。

 日本も同様に、開戦時に最先端だった兵器力と機動力はあっという間に失なわれ、以後今日まで単なる経済大国という評価しか得られていない。

 戦後のソ連も同じで、一時は核兵器とミサイルでアメリカと互角のように見えたが、航空機と空母など全般、すなわち兵器力と機動力で大きな格差が明らかになり、戦わずして勝負がついた。

 これら近現代の例より遙かに長期にわたって帝国を維持したローマ、モンゴル、オスマン(トルコ)の実例を見れば、兵器力と機動力が帝国の成立と維持発展のカギだったということが一層よく分かるはずだ。

 この三つの帝国はいずれも騎馬兵を駆使した機動力と、投石機(のち火薬)や鉄の鏃(やじり)、強弓などを大量に装備していたことで知られている。モンゴル帝国とオスマン帝国は共に中央アジアの遊牧民族が源流である。
 モンゴル帝国は初代チンギス・ハンからわずか三代でヨーロッパ、中東にまたがる史上最大の版図に広がり、その上、騎馬だけでなくインド洋に進出する海の機動力まで視野に入れていたと言われる。ローマ帝国とオスマン帝国は時代を超えて版図が重なり、共に地中海を内海としていた。

 イスラム化したオスマン帝国は16世紀、バルカン半島を支配下に入れるべくキリスト教のオーストリアに侵攻した(第一次ウィーン包囲、1529年)。オスマン帝国の版図は最大になったが、約1世紀半後の第二次ウィーン包囲になると、もう西欧側の兵器力がオスマンの兵器力を上回っていた。オスマン軍は予想外の損害を被り、這々の体で引き上げざるを得なかった。オスマン帝国の隆盛は2回のウィーン包囲の中間にピークアウトした。

 兵器力の逆転が、その後のイスラムとキリスト教(西欧)の歴史的逆転につながって今日に至っている。

 20世紀というのは面白い世紀で、初めにオスマン帝国、ドイツ(ハプスブルグ)帝国、それにロシア帝国が滅びた。中頃にはドイツ(ナチス)帝国が再度念入りに滅ぼされ、ついでに新興の大日本帝国も解体された。そして終わり頃にはソ連帝国が解体されて、元のロシアに縮小された。

 21世紀に入って、アメリカが新しい帝国だとか、いやそうではないといった議論が出てきたのは当然であろう。ほかにそういう議論の対象になる国が存在しないからだ。
 それどころか、もうアメリカも衰退期に入ったというような議論さえ聞かれるようになった。イラクで泥沼に足を取られてしまったように見えることが、その論拠のようだ。

 しかし、アメリカがここ数年加速している軍事再編(Transformation)を見ると、イラク情勢とは関係なく、歴史上の帝国の例に倣って兵器力と機動力を掛け合わせようとしていることが分かる。

 アメリカの兵器力は、「残りの世界の兵器力の合計を上回る」というほど、質量共に抜きんでている。その主力をアメリカは冷戦中から現在まで、西側同盟国を守るため国外に分散させてきた。それを縮小して、有事の派遣軍に再編しようというのである。
 
 海軍はすでに、他国が持ち得ない空母機動艦隊方式を自在に運用している。この方式を空軍も採用し、多機種から成る自己完結型の空中遠征部隊(AEF)を10個保有する計画だ。陸軍もこの思想に合わせて、旧来の重戦車中心の師団編成から、電子化された軽いストライカー装甲車だけの旅団に再編していくことになっている。

 世界中に駐留する米軍から脱皮し、有事に本土から電光石火、強力な兵器力を投入する米軍へと変化していく。これこそ遊牧民族の発想、そして歴史に残る大帝国への定石である。
 イラク戦争は、その実験でもあった。歴史の教訓では、圧倒的な勝利の後は、さっさと引き上げて宗主国として睨みを利かせることである。それが大帝国のノウハウであった。

 イラクでの米兵死者数が「9.11同時テロ」の犠牲者数を超えたという。高い授業料になったということもできる。だからメンツの上でも撤退できないと考えるか、それともこれで発想の転換ができると見るか。後者の道を選択すれば、本物の帝国に向かって走り出すことになる。

 現代の兵器力と機動力の両方に、ハードとソフトの情報力という要素がますます大きくなっていることを忘れてはならない。 以下、次号に続く。(06/12/30)


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