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平成19年9月28日

        福田首相なら片付けられる靖国問題

 本コラムに書いた靖国問題4本に書き下ろしを加筆して、単行本「大礒正美の よむ地球きる世界」(彩雲出版)の第6章にまとめた。今月のコラムはその続きに当たる。

 安倍総理は小泉政権当時、「次の首相もその次の首相も当然お参りしてほしい」などと公言していた。しかし自分が就任したら(実際にはその前から)、行くとも行かないとも、また行ったとも言わないという「あいまい戦術」を編みだし、現実には一度も参拝しないまま退陣してしまった。
 そうした胆力のなさが本来の支持層をどれだけ落胆させ、逆に反対勢力を増長させたか、ご本人は未だに分かっていないだろうと思われる。

 一方、福田康夫新総理は、就任前から、靖国神社に参拝するかどうかという質問に、「相手がいやがることをあえてやることはない」と、明確に否定してきた。 友人づきあいと国の外交を区別していないらしいのは問題だ。相手国がいやがることでも、自国の利益のために実行するのが外交である。

 しかし、新首相が公約したことと矛盾しない形で、この問題を解決する方法が一つあるので改めて提案しておきたい。それは、天皇陛下に靖国参拝(ご親拝)を再開していただくよう働きかけることである。

 「このこんがらがった政治問題を本筋に戻すには、天皇陛下が公的に(という必要もなく)靖国神社参拝を再開されるのが最善のシナリオです。それが実現すれば、続いて外国の賓客が慣例として花輪を捧げるようになる」と拙著(160頁)で提案した機会が、今まさにやってきたと判断されるからである。

 よく知られているように、昭和天皇のご親拝は昭和50年(1975年)11月が最後で、あとは春秋の例大祭に侍従を代参させている。その理由として、昨年来、いわゆる「A級戦犯」合祀に批判的な発言をしていたという、側近のメモが公表されるに至った。

 実際に合祀者の誰かに不満があったとしても、それだけの理由で、明治維新に始まる近代日本の事実上の国立追悼施設に、立憲君主が参拝しなくなったということはありえない。いつの間にか側近官僚の怠慢が積もり積もった結果ではないだろうか。
 理由不明のこの歪(ゆが)みは、次の天皇、すなわち今上(きんじょう)陛下が是正しないといけない問題なのである。

 そのことを、福田首相は早急に天皇に拝謁して説明し、ご親拝の再開を要請すればいい。立憲君主としては、行政の長である首相の要請を断ることができない。
 そもそも論でいえば、先代君主が残した感情や戒めに現君主が縛られて行動ができない、ということはあってはならないのである。もし、そういうことがあるとしたら、ちょうど秦の二世皇帝が、父の始皇帝の偉大さに押しつぶされ、その遺訓をただ墨守するだけの存在だったと伝えられるように、歴史によって必ず批判されることになる。

 福田氏は小泉・安倍両首相と思想基盤を異にする立場のようだ。だから却って、今上陛下に対して説得力を持っていると考えられる。福田内閣誕生に歴史的意義があるかどうかの試金石である。

 まず秋の例大祭にお参りしていただき、次に天皇として初めて12月8日に、そして来年春の例大祭に続き、8月15日にお参りしていただく。年に4回という慣例を作れば、もう反対派も中国・韓国も何も言えなくなるだろう。

 そして福田さんは、公約通り、また自分の信念に従って、靖国参拝は行わないで済む。つまり、天皇陛下のご親拝が再開されれば、もう総理大臣が行こうと行くまいと誰も問題にしなくなるのである。(07/09/28)


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