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平成19年11月30日

           混乱の根は小沢代表の国連幻想

 昨年7月16日付けコラム「日本メディアが書けない『連合国』憲章第7章」の続きになる。

 安倍政権末期(参院選惨敗)から始まった内政混乱の根っこには、小沢一郎という人物の特異な性格と政治感覚があると思われる。

 特異な性格というのは、自分が政権トップに上りたいという意欲がほとんどみられず、それよりも政局をかき回すことに本能的な衝動を感じる政治家だということを指している。

 その性格から出てくるのだろうと思われる独自の「国連観」が、我が国の外交の根本を破壊しつつある。それが目的なのだろう、と考えることもできる。何でもいいからかき回して、ひとを右往左往させる。その先のことを深く考えているわけではなさそうだ。

 小沢代表が、自ら率いる民主党のなかでもほとんど理解されているとは思われない国連幻想を振りまくのは、おそらく政界再編を加速する道具として最適だという判断があるからだろう。しかし、そういう国内政治の思惑に、国の根幹である安全保障政策を巻き込んで歪曲してしまうのは、政治家としてあるまじき行動といわねばなるまい。

 小沢氏は、スイス連邦が2002年9月になって、ようやく国連に加盟した事実を知っているだろうか。ちょうど190番目の加盟国になった。スイスは永世中立国だから、国連加盟が中立と矛盾する恐れがあるとして、国民の過半数が加盟に反対を続けてきたという歴史がある。

 それではどうしてスイスは加盟を申請し、国連は5大国の拒否権行使もなく、加盟を承認したのだろうか。

 スイスは加盟申請のメッセージの中で、明確に「国連の加盟国としても中立であり続ける」と宣言している。これは、国連の決議に従うかどうか自国が決める権利を留保するという意味である。

 振り返ってみれば、日本だって同じだった。
 日本が加盟申請したとき、国連憲章第7章(すなわち軍事同盟の本体)と日本国憲法第9条が矛盾するのではないかという疑問が生じた。

 これに対して政府は、7章の第42条に定める軍事行動に参加する国は、第43条に定める「特別協定」を安保理との間で締結し、それを「憲法上の手続に従って批准」することになっているので、すなわち我が国はそういう行動をとらない自由が留保されていると答弁した。

 かつて自民党の幹事長まで務めた小沢氏が、この経緯を知らないはずはない。むしろそういう認識の上に立って、いま「国連の平和活動は国家の主権である自衛権を超えたもの」だから、「たとえそれが武力の行使を含むものであっても、日本国憲法に抵触しない」とまで断言している(『世界』11月号公開書簡)。

 同氏は自分のホームページで、持論の「国連常備軍を率先して創り、自衛隊を縮小してそこに差し出す」という提案を展開しているぐらいだから、国連信仰ここに極まれり、というしかない。

 一般的にいえば、確立された国際法は国内法に優越するというのが近代国際社会の常識ではある。日本国憲法第98条にも、「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」と書かれている。

 しかし、国連に関する限り、どう見てもこの条項には当てはまらないであろう。現に、北朝鮮に拉致被害者を返すよう促す非難決議が毎年採択されているのに、北朝鮮は全く無視し続けている。世界中の領土紛争でも、国連決議で解決された例など一つも思い浮かばない。まして武力行使に関して、日本が従うべき確立された慣例など、あろうはずもない。

 小沢代表は、たぶん総理大臣の重責を担うつもりが皆無なので、生身の政治家として誰も考えないようなことを口に出せるのだろう。希有(けう)な政党トップであることは間違いない。(07/11/30)



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