top.gif
title.jpg

平成20年1月30日

       武器所有の根拠----米憲法修正第2条の正訳

 米大統領選挙の争点は多種多様にわたるが、われわれ日本人にとって特徴的に見えるのは、イラク戦争が争点から外れつつあり、またガン・コントロール(銃器管理)が当初からほとんど問題になっていないことだ。

 この2点だけを取り上げてみても、共和党候補のなかで最年長のマケイン上院議員(71)が意外にも(失礼!)、フロントランナーに躍り出てきた理由が説明できそうである。

 マケイン候補は当初、イラク戦争では最もブッシュ大統領を擁護する姿勢をはっきりさせており、それが最大の弱みになるだろうと批評されていた。今やイラク情勢は明らかに好転し、医療や景気後退の恐れなどの国内問題の陰に隠れるまでに変化してきた。
 マケインの負け要因の一つが消滅しつつあるというだけでなく、ベトナム戦争中に5年半もの捕虜生活を生き延びたという経歴が、いっそう輝きを増すことになった。

 2番目の銃器問題に関しては、一般に民主党が規制強化派で、共和党が強化反対派と立場が分かれている。これは1930年代の民主党政権に始まる「政府の役割増大」路線と、「個人とコミュニティーを重視する」共和党路線の違いを反映したものと言えるだろう。

 したがって共和党候補は大体において、銃器に対する国民の権利を認める姿勢を明確にする。昨年4月に起きた韓国系市民によるバーニジア工科大学乱射事件に際し、それでも規制強化に反対だと発言したのはマケイン候補だった。
 
 日本人にはなかなか理解しにくい状況だが、あの乱射事件では犠牲者が32人にも達し、過去の乱射事件の最多記録23人を大幅に上回った。複数の犠牲者を出す乱射事件が2006年に8件、07年には7件起きているにもかかわらず、大統領を目指す候補者たちは「憲法修正第2条」を決して攻撃しようとはしない。

 民主党のヒラリー、オバマ両候補(共に弁護士出身)なども、警察官の増員や銃器の違法取引の罰則強化といった婉曲な表現を用いるだけである。
 共和党候補で先頭を走っているはずのジュリアーニ前ニューヨーク市長は、地元の特異性に影響されたためか、銃器管理に前向きだというイメージを持たれた。そのせいかどうか、現時点では3番手も危ういところに来てしまった。
 
 それでは、憲法修正第2条は何をどう規定しているのだろうか。よく新聞などで簡単に紹介されているのは、こういう表現である。
 「規律ある民兵は自由な国家の安全保障にとって必要であるから、国民が武器を所有し携帯する権利は侵してはならない」。

 はっきり言って、これは誤訳というよりも意味をなしていない。「規律ある」「民兵」など、実際にはありえない。これは「正当に組織された」「義勇兵」という意味である。すなわち正規軍、正規兵ではないが、公的任命を受けて組織される准軍隊ということだ。
 民兵といったら「私兵」の意味になってしまう。ミリシアという英語にはそういう意味もあるが、この場合は逆の「公兵」と解さなければおかしい。

 また「自由な国家」の「安全保障」なら正規軍の任務であるから、これも全くの誤訳である。正しくは、「コミュニティー(邦)が連邦政府に圧迫されることのないように」という意味である。
 13のステート(邦、のち州)が合衆国を形成するに当たり、強大な連邦政府ができることを警戒し、いざとなれば抵抗する権利を、本条の前半で宣言しているのである。
 当然、その権利を行使するためには武器が必要であり、一朝ことあるときには武器を持って馳せ参ずる潜在的義勇兵がいなければならない。それが後半の意味である。

 かくて、この修正第2条の意味を完全に汲み取って訳し直してみれば、以下のようになる。

米国憲法修正条項第2条(大礒による意訳)
 連邦政府に対する潜在的抵抗権(自由権)を確保する必要から、正当に組織された義勇軍は禁止されてはならず、
(したがって)義勇兵となるべき邦(州)民が自己の武器を保有し携帯する権利もまた、連邦政府によって侵害されてはならない。

 これなら、よく分かるだろう。日本でもアメリカでも、自己防衛のために武装する権利を保証した条文だと誤解されるきらいがあるが、武器を持つ権利は第一義的にコミュニティーの自由を守るためと定められているのである。

 それが分かると、何のことはない。日本の武士だって自分のためでなく、お家のために日頃武芸を鍛錬し、非常呼集に備えていた。そのためには自分の刀、槍、などを保有し、道場などに持ち運ぶことが必要になる。お上の支給品や借り物では十分な働きができない。

 アメリカの特異さは、警戒すべき相手方が連邦政府なので、この権利を連邦政府が奪ったり、弱めたりすることができないことである。憲法上、そういう規制ができるのは州政府またはその下の自治体、すなわちコミュニティー自体である。

 日本のメディアはアメリカで乱射事件が起きると、決まってなぜ規制を強化しないのかと居丈高に説教するが、大統領や議会には権限がないのだから、権限のある州政府以下に、日本流の「銃規制」を説かなければ意味ないのである。(08/01/30)



コラム一覧に戻る