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平成20年3月25日

         日本は暫定憲法に基づく暫定国家か

 ガソリン価格が25円下がるのは、消費者としては歓迎だが、「暫定」は何も租税特別措置法だけの問題でないことに目を向ける必要がある。

 ガソリン税等の暫定上乗せは1974年4月の法律によるものだから、暫定がすでに34年の長きに及んでいる。それをまた10年も延長しようという政府自民党の提案は、いかになんでも説得力がないと言わざるを得ない。

 ところが、それよりも長い年月、暫定のままの基本法がある。いうまでもなく日本国憲法である。公布は1946年11月3日(施行は翌年5月3日)だから、今年で62年になる。人間ならば、すでに定年という歳だ。

 当コラムの「日本国憲法は『無効』が正解、だが、、」(03/12/25)に詳しい解説を書いてあるので、ここではなぜ「暫定」かを繰り返すことは避けるが、要するに、日本国憲法は米軍による占領が終われば、当然に失効するものと米側は考えていたはずである。
 つまり暫定憲法ということになるが、それを62年も暫定のまま維持してきたわけだ。

 これは米国にとっても教訓になったと思われ、イラク戦争後の占領政策では、いきなり米国製の憲法を押しつけるという方法を採らなかった。
 まず連合国側が国連と協議して基本法を制定し(04年3月)、そのスケジュールに沿って3ヵ月後、イラク暫定政府に主権を移譲した。
 そのあと暫定政府が総選挙で国民議会を誕生させ、そこでやっと憲法草案を審議、採択し、新憲法の規定にのっとって2度目の総選挙をして正式政府が発足した(06年5月)。

 ブッシュ大統領と幕僚たちは、日本占領の成功体験が再現されると信じて開戦に踏み切ったと批判されるが、憲法に関しては、日本での経験と違うことをやっているのである。主権の回復前と後では根本的に違うという実例だ。

 閑話休題。上には上があるもので、日本にはもっと長いこと「暫定」のままの制度がある。最近、知る人が増えてきた「陪審裁判」の制度である。

 日本では昭和の初め頃から、一部の裁判に陪審制が選択できるようになった。それが昭和18(1943)年4月1日、「陪審法ノ停止ニ関スル法律」によって施行が停止された。その附則には、「今時ノ戦争終了後再施行スルモノトシ、、」と、明示的に暫定の措置であることを謳っている。

 新憲法公布の3年前の法律だから、長期暫定の兄貴分とも言えるだろう。陪審法は今でも暫定的に停止されたままであり、来年5月施行の裁判員制度によっても影響を受けない。
 法律の定める「暫定」の長命記録を今後も塗り替えていくものと予想される。

 日本人が暫定(しばらく、とりあえず)の意味を取り違えて半世紀以上になった。歌舞伎の「暫」はどうなっているかという心配が出てきそうだが、暫定税率を巡る政界のスッタモンダを見ていると、なんだか福田首相も暫定なのかなという感じがしてくるのも無理ないだろう。

 いや自民党だって単独与党でなくなってからは暫定的、民主党はもっと暫定の政党だし、党首は党内全部から反対されて辞意を表明したあとは暫定だろう。
 公明党はもともと、とりあえず地方議会に代表を出すだけと言っていたはずだが、暫定で参議院、次いで衆議院と進出、そして与党入り。有力閣僚までもぎ取った。

 政界だけでなく日本銀行総裁だってそうだった。通貨の番人が自分の通貨を投資ファンドに投機(投棄?)していたことがバレたあと、もう総裁としては暫定だったはずだ。

 暫定国家ニッポンの実情が、ガソリン税のおかげでようやく見えてきた。暫定漬けの国家制度がなぜできあがったのかも、はっきりしている。いわゆる護憲派の人々が、「暫定憲法は守れ、暫定税率は廃止せよ」と叫んでいるのがなんともおかしい。(08/03/25)

 
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