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平成20年4月21日

        ダライ・ラマを洞爺湖サミットに招く外交を

 福田首相は外交が専門、というか得意分野なのだそうだ。それにしてはまだヒットがない。中国を公式訪問してご馳走攻めにあったが、大懸案のガス田問題を始め、諸懸案はすべて先送りにされただけだった。その後に、毒入り餃子事件が起き、さらにはチベット争乱とオリンピック聖火騒動が始まった。

 5月の大型連休に予定されていた訪欧計画は頓挫し、7月の北海道洞爺湖サミットで何人かの首脳とは初対面にならざるを得なくなった。4月下旬にロシアだけは訪問できそうだが、それで北方領土返還交渉が前進するどころか、逆に昇竜の勢いのプーチンに一層の経済協力を約束させられることは、もう確実と言っていいくらいだ。

 韓国の新大統領が米国、日本の順で挨拶回りに訪れたのは幸運だったが、この順番を逆にさせることができたらもっとよかった。それが外交のヒットというものだろう。親日(小泉好き)のブッシュ大統領は、李明博大統領がまず日本と修復する意欲を態度で示し、その成果を引っさげて訪米してくれば、大いに喜んで迎えたはずである。

 4月21日昼の日韓首脳共同記者会見で、福田首相は一度も笑顔を見せず、堅い口調で紙を棒読みするだけだった。欧米式にまず一言ジョークで会場を笑わせるのは無理としても、暖かい雰囲気づくりの努力さえ感じられなかったのは異様だった。

 これでは、サミットはもとより、その前の中国トップとしては10年ぶりとなる胡錦濤国家主席の公式訪問を、果たして国益と世界の公益につなげることができるのだろうかと心配になってくる。

 洞爺湖サミット(7/7〜9)と胡錦濤来日(5/6から)は、ワン・セットの外交として考えなければならない。チベット弾圧とトーチ・リレーの異様さがワン・セットとなって、中国が世界常識の外にある国であることをグローバルな規模で知らしめた。そのため、胡錦濤主席の訪日が同じようにグローバルな関心を集めることになり、必然的にサミットに繋がっていくことが不可避となったのである。

 したがって、胡主席の訪日自体を、われわれ日本人もグローバルな視点で、もっと正確に言えばサミット参加首脳たちの視点で見なければならない。

 福田首相が世界標準でチベット問題を語り、胡主席に耳を傾けさせることが、黙示的に要求されている。ノーという返事しか引き出せないならば、サミット主催国として落第ということになる。

 事態はもっと深刻だろう。2人が並んで握手する瞬間の写真が全世界に流される。チベット問題で激論を交わし、世界標準が満足されなかったなら、福田さんは決して笑顔を見せてはならない。イメージは、それほど大事なのだ。一瞬ですべてが決してしまう。外交の怖いところはそこなのだ。

 福田首相は、洞爺湖サミットを対中外交に利用することを考えるべきだろう。悪い意味ではない。サミット主催国としての特権であり、それを活用しなければ却って後ろ指を指されることになる。
 胡主席はサミットにもオブザーバーとして招待されている。そこで、日本としては日中首脳会談で対決するのを避け、中国に宿題を持ち帰って貰えばいい。回答はサミットで、ということである。
 さて、では何を宿題にするのか。

 「ダライ・ラマ14世をサミットに招待する」と通告する。それだけでいい。余計なことは言わない。同意を求めてはいけない。誰を、どの国を、サミットに招待するかは主催国の裁量に任されている。正式メンバーでない国の拒否を受け入れたら、日本はもうお終いである。

 ダライ・ラマ招待は中国を除く世界中から大拍手をもって歓迎されるだろう。そして、洞爺湖では各国首脳が争って同法王との会談を求めるに違いない。
 それが予想できるからこそ、中国主席は自分も会談を求めるしかないと考えるだろう。

 だから宿題である。胡主席の立場としては、(1)参加してダライ・ラマと会談するか、(2)参加して会談せずに終わるか、(3)参加を取りやめるか、3つに1つの選択となる。
 誰が見ても(1)が中国にとってベストの選択であり、あとはどちらも世界を敵に回すことを意味している。そして翌8月には北京オリンピックを主催する。

 福田首相は、明示的にダライ・ラマとの会談を勧めたり、会場を提供したりする必要は全くない。却ってやらない方がいい。ただ「通告」するだけで必要十分なのだから、余計なことはしない。
 それだけで、日本外交として近来まれな大ホームランになる。

 胡錦濤来日に始まる一連の外交好機を逃してはならない。そういう国際環境が偶然、巡ってきたのである。(08/04/21)


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