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平成20年5月18日

    
   中華思想を煽った末の「天災は王朝打倒のシグナル」

 胡錦濤国家主席を始め、中国共産党政権の幹部たちの頭には、「易姓革命」という四字熟語が寝ても覚めてもちらついていることだろう。

 四川(しせん)大地震の犠牲者は5万人を軽く超えると見られ、最終的にどのくらい増えるのか想像もできない現状だ。被災者総数は1千万人、被災面積は北海道の広さを遥かに凌駕するという報道もある。

 そうした犠牲者、被災者には深い同情の念を禁じ得ないが、同時にこの天災が中国と世界の政治状況にどのような影響を及ぼすことになるかを、今のうちから考えておく必要があるだろう。

 中華の歴史上、為政者の交代は「天の声」によるものとして正当化されるのが常識だ。これは儒教だけにとどまらず、歴史的中華の政治思想の中核を占める理論として確立している。

 天が為政者を見放し政権交代を促すという思想、すなわち「天命が革(あらた)まる」というのは、客観的に見れば、武力で政権を簒奪(さんだつ)した新皇帝が自らの正当性を後付けする理屈だ。
 しかし、そうであっても、実際に「革命」の後付け理由として、大規模な天災がうってつけであることは論を待たない。農耕文化圏では特にそうである。

 大陸中国で珍しくない大洪水や干ばつ、大飢饉、大地震などは、すべて天の命が革まったシグナルと解釈される。民が苦しみ、怨嗟(えんさ)の声が地に満ちる。天の声は民の声に他ならない。そう考えれば、けっこう理にかなっていると言えよう。
 我が国でも、この思想はたとえば江戸時代の「大塩の乱」に明瞭に現れている。儒学者で陽明学に傾倒した大塩平八郎は、天明・天保の大飢饉(1830年代)を幕府への反乱の理由に挙げている。

 今度の四川大地震が中国共産党に与えた衝撃の度合いは、1976年の唐山(とうざん)大地震と比べてみれば一層よく分かるだろう。
 唐山大地震は犠牲者24万人と記録されており、四川大地震より犠牲者が一桁多いようだ。しかし、客観情勢の違いは極めて大きい。

 1976年というのは冷戦の真っ只中で、その5年前から共産中国は米ソ英仏と並ぶ国連安保理常任理事国の仲間に加えられていた。中国共産党はソ連共産党よりもマルクス・レーニン主義の正統は我にありと主張していた。歴史的な中華思想は、あらゆるレベルの宗教と共に共産主義の敵として抹殺されたままだった。

 したがって唐山大地震は、少なくとも百数十年間の記憶にある最大最悪の天災だったにもかかわらず、「天命が革まった」というようには受け取られなかった。一般人民はそういう歴史教育を受けていなかったので、天の命という概念すら頭に浮かばなかったのではないだろうか。

 それだけでなく、インターネットはまだ存在せず、テレビ・ラジオなどの情報通信手段は共産党によって完全に統制されていた。そのため、唐山大地震の被害状況は国民にほとんど隠されていたのである。世界に対してだけでなく、人民に対しても同じように情報隠匿が当たり前だった。

 これらの客観情勢は、十数年後に一変した。80年代末の冷戦構造崩壊、天安門事件(89年)、ソ連の消滅(91年)などに直面し、中国共産党は共産主義を堅持しながら中華思想に活路を求めるに至った。江沢民国家主席が推進した「中華民族」意識への切り替えである。

 それが大成功したことは、五輪聖火リレーが世界に証明してみせたばかりだ。オリンピックそのものやトーチリレーをあたかも中国の所有物のごとくに受け取り、他国で傍若無人に沿道を真っ赤な巨大国旗で埋め尽くすという映像を見て、中華思想ここに極まれりと感じた日本人も多かったであろう。

 そこまで中華思想を煽りまくったピークで、唐山大地震に並ぶほどの大地震が襲った。なんという天の配剤だろうか。

 こんな時、為政者の側、王朝の側ではどんな対応をとるのだろうか。
 
 天災に見舞われた為政者としては、なんとか易姓革命を予防、阻止したいと考える。そして多くの場合、元号を替えることになる。為政者の反省の意を天に届けようという試みだ。

 日本でも、明治までは改元が頻繁に行われた。今ではその意味がよく分からなくなっているが、天災に対応する常識的な反応だったと思えば不思議はない。厄払いと同じようなものだったのだろう。

 清朝滅亡後の大陸では孫文などが元号を維持しようとしたが、共産党政権は元号を捨ててしまった。現在ではおそらく北京オリンピックと再来年の上海万博が、それに代わる役割を期待されるのであろうと推測できる。

 しかし、その二つの中華意識高揚イベントが終了したあと、共産党王朝に対する支持はどれだけ持続するだろうか。インターネット時代に情報統制は日に日に難しくなる。チベット問題であえて世界を敵に回し、それを最大限に国内の求心力に利用しようとした共産党独裁体制は、明らかに天に向かって唾(つば)していたのである。(08/05/18)


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