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国際政策コラム<よむ地球きる世界>No.110
    by 大礒正美(国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)

平成20年7月29日

        米国の真意は日本の限定的核武装か

 先月19日から今月4日まで、土日を挟む12営業日連続で、日経平均株価が下落して終わった。これは実に約半世紀ぶりの異常事態だったが、相場の世界でも政治の世界でもその意味を深く追求していないようだ。

 最も古い記録は1949年11月の13日間続落で(前日比変わらずを含む)、いわゆるドッジ・ラインによるデフレ不況を読み込んだ下落だった。
 その次が1953年5〜6月のスターリン暴落で(死亡は3月)、12日間続落。そして翌54年4〜5月にも駄目押しの15日間続落となっている。

 この3つの前例は非常に示唆的である。米軍占領下で有無をいわさず押しつけられた緊縮財政政策と、朝鮮戦争の終結に伴う景気下降予想のいずれもが、日本の主体的意思と無関係の「外的政治要因」であった。

 いま日本は、また同じような状態になっているのではないだろうか。ドッジ・ラインのような単一の経済的要求は見られないが、朝鮮半島では誰の目にも明らかな変化が始まった。

 「朝鮮半島の核化」がそれである。決して、非核化ではない。6ヵ国協議の当事国の誰もが、北朝鮮の非核化意思など毛ほども信じていない。それでもブッシュ米大統領は信じたふりをして、議会に「テロ支援国家リストから外す」手続きを通告した。8月11日には発効すると見られる。

 つまりアメリカは、北朝鮮が数個のプルトニウム爆発物を保有しているだろうという現実を容認し、さらにウラン濃縮型の核開発についてはこれから交渉していこうという政策に転向した。

 核兵器の歴史から見れば、これはむしろ自然の流れであって、ブッシュ政権が変節したと非難するのは見当違いになる。

 ソ連崩壊後、アメリカを核で脅す国はもうあり得ない。米国政府や国民が心配するのは、イスラエルに対して実際に核が使われる事態である。それを「核拡散」と考えている。だから、イラン、イラクの核は許さない。
 インドの核は問題ない。パキスタンの核はイスラムという点で少し心配だ。

 では、北朝鮮の核は? 

 イスラエルの脅威に繋がる拡散さえしないなら、初歩的な核を持っていても脅威にはならない。アメリカの本音はそこにある。

 しかしイスラエルにとっての核脅威は例外的であって、実際に使われる恐れよりも、外交の道具として極めて有効だということのほうが大きな問題なのである。
 核を持てば、持たない隣国に対して無言の圧力を常に加えていることになる。中国が持てばインドが、インドが持てばパキスタンが、という具合に拡散した歴史がすべてを物語っている。持たない国は隣国の核圧力に耐えられないのである。

 北朝鮮が核を持った(と誇示した)とたんに、韓国は事実上降伏してしまったと言える。北の独裁者はとっくに韓国を対等の交渉相手と見なしていない。

 現時点では南北統一の見通しは全く立たないが、もし韓国で世論調査をして、統一後も核兵器を保持すべきかどうか質問してみれば、圧倒的多数が「イエス」と答えるだろう。
 その理由も容易に予想できよう。「日本に対して有効だから」。

 米政府もそのぐらいのことは織り込み済みだろう。日米安保、米韓安保が機能していても、無言の核圧力は阻止できないことが証明されている。
 だから日本としては論理的に考えて、米国は同盟国日本に「対抗処置をとってもいいよ」とシグナルを送っていると理解すべきだろう。

 ほとんど報道されないが、ブッシュ大統領の盟友として知られるシーファー駐日大使が、改めて「日本はもっと防衛費を増やすべきだ」と説いて回っている。
 この大赤字財政、原油・資源暴騰、ねじれ国会等々、八方ふさがりのニッポンにいる大使が空気を読めないにもほどがある、とバカにすべきだろうか?

 おまけに、自衛隊が欲しがっている超高額のF22戦闘機は売ってやらないと拒否しているのだから、それならいったいシーファー大使は何に対して出費させようとしているのだろうか。

 米政府は、日本が同盟国として独自の安保イニシアティブを打ち出すよう催促しているのである。半世紀ぶりの平均株価12日間続落は、それができないことを予想したものかもしれない。

 例えばの一案だが、退役したばかりの比較的新しい原潜を格安で購入したいと申し入れてみたらどうだろうか。日本の変革を強く印象づけることができるだろう。核抜きなら単独で、核付きなら日米共同で運用する。憲法には抵触しない。

 2002年に安倍晋三官房副長官(当時)が「小型であれば原子爆弾の保有も問題ない」と言明し、福田康夫官房長官(当時)も「私個人の理屈では持てるだろう」と追認した。日本は今でも防衛的な核を持つことができるのである。(おおいそ・まさよし 08/07/29)


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