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国際政策コラム<よむ地球きる世界>No.111
    by 大礒正美(国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)

平成20年8月19日

        総理の自覚に待つ象徴天皇の「事績」

 北海道洞爺湖サミットは福田康夫首相の思い入れも強く、失敗という事態はありえなかった。ご本人は大いに満足していることだろう。
 
 父の赳夫首相は1977年(第3回ロンドン)、78年(第4回ボン)と続けて出席したが、次の年の東京サミットの前に大平正芳氏に敗れ、初の日本主催を自分の実績とすることができなかった。

 毎年のサミット(主要国首脳会議)を1年かけて準備し、すべてのお膳立てをするのは通称シェルパと呼ばれる参加国首脳の「個人代表」である。日本の場合、慣例として外務次官に次ぐ官僚ナンバー2の外務審議官(経済担当)が、その任に当たっている。

 しかし、そのシェルパたちの努力が表に出ることはない。歴史に残らない縁の下の力持ちである。シェルパというのは、もともと欧米登山家の名誉を陰で支えるヒマラヤの現地ガイド兼荷物運びのことである。

 黒子(くろこ)であるシェルパのおかげでサミット主催者として実績を挙げた福田首相は、天皇の事績をどう考えているだろうか。

 日本の歴史を通じて天皇は権威のみで君臨し、実権は大氏族(のち武家の棟梁)に委ねられてきた。明治以降の立憲君主もそれ以前も、この点に変わりはない。
 それでも、歴代の天皇の事績は語られている。明治天皇、昭和天皇の事績を挙げたら相当長い既述になるはずだ。むろん後世の毀誉褒貶(きよほうへん)すべて含めてである。

 のちの歴史で平成天皇と呼ばれる第125代天皇には、どういう事績が記されているだろうか。今年で在位20年目であり、大正時代の15年を大きく超えてきている。

 大正天皇の事績が語られないのは理由のあることで仕方がない。在位の短さゆえと記録されるだろう。それでいい。

 しかし、今上天皇についてはそれでは困るのである。

 最も古い公式記録である日本書紀では、第2代から第9代までは存在のみが記されていて事績が書かれていない。それで「欠史8代」(闕史八代)という呼び方が生まれ、さらには後代に創られた偽装だという説も出てきた。

 我が国の成立年代が確定されにくい理由の1つがこの「欠史」にある。

 さて、近代国家に衣替えして約1世紀半になる。4人の立憲天皇のうち2人が「欠史」になるのだろうか。

 由緒ある老舗(しにせ)企業の社史で、歴代社長の半数が在任期間しか書かれていない、などということはありえない。

 福田首相は、自分が天皇の事績を準備するシェルパなのだと自覚しているだろうか?

 そんなことは考えたこともないというのであれば、後世の歴史書で、平成以降の天皇の事績はすべて、「外遊○○回、国賓接遇XX回」とだけ書かれることになる、、?!(おおいそ・まさよし 08/08/19)


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