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国際政策コラム<よむ地球きる世界>No.112
    by 大礒正美(国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)

平成20年9月7日

      中露の短慮が生んだ福田退陣とペイリン旋風

 「風が吹けば桶屋が儲かる」ということわざがある。英語なら簡単に「バタフライ効果(エフェクト)」で通じる。そういうタイトルの映画があるので、日本でも通じるかもしれない。

 北京五輪の開会式の日を選んで、グルジア軍が国内の南オセチア自治州に進軍し、待ってましたとばかりに駐留ロシア軍が大げさな反撃に出て戦闘が始まった。
 このとき、北京にはブッシュ米大統領一族とプーチン首相が同席していたが、米ロ首脳は対照的な反応を見せた。すなわち、プーチンはすぐモスクワにとって返し、ブッシュはもう2日滞在して米国選手の応援に精を出した。

 次期大統領を目指すマケイン共和党候補は直ちにロシアを非難する声明を出したが、折しもハワイで休暇中のオバマ民主党候補は効果的なアピールを出せなかった。

 ここから、バタフライの巻き起こす波紋が効果的に拡がっていった。オバマ氏は失点を取り返す必要と、自分の弱みとされている外交軍事の分野をカバーする必要性から、米国議会で最も古い外交政策通として知られるバイデン上院議員・外交委員長(65歳)を副大統領候補に指名した(8月23日発表)。

 「よし、してやったり」というべきか、対するマケイン氏は無名の若い女性アラスカ州知事を副大統領候補に指名した。決めたのは8月24日だったという。そのサラ・ペイリン女史(44歳)は外交とほとんど無縁で、国内政治の経歴もアラスカ州ローカルのみである。

 おそらく、民主党側のバイデン指名がなかったら、マケインの脳裏にペイリンという名は浮かばなかったであろう。マケインは自分がバイデンと対(つい)になる外交軍事通だと自負しているから、副大統領には相手側の大統領候補オバマと対になるような隠し球を出そう。そう閃(ひらめ)いたに違いない。

 大バクチとも言えるが、結果として歴史上まれな成功を収めつつある。攻める民主党が「新鮮壮年とベテラン熟年」の正副コンビ。守る共和党がちょうどその逆という対決図式となり、世論調査ではほとんど横並びで2ヵ月後の本選に臨むこととなった。

 新鮮味は今やマケイン候補の側に移った。長い選挙戦で、最終局面になって思い切り新鮮な人材が躍り出てくる。こんな理想的な展開はない。
 ペイリン候補に大きなスキャンダルが出てくれば別だが、そういう波乱がなければ、マケイン陣営はきわめて有利な戦いを進めることになるだろう。

 これで密かに「しまった、かな」と臍(ほぞ)をかんでいるのはプーチンであろう。旧ソ連の諜報機関KGBで仕込まれた謀略でロシアの全権力を手中にしたが、グルジアを手のひらで転がして見せたことが、米国に対ロ強硬派の新大統領を誕生させる手助けになってしまった。

 プーチン首相の基本的な国家戦略は、豊富な地下資源を外交にフルに使って、それが枯渇する前に欧米並の先進国に成り上がろうというものである。
 したがって、アメリカや旧西側諸国を相手に、本気で「新冷戦」を辞さないなどとは夢にも考えていない。

 脅し、すかし、裏切り、なんでもありで、軍事力行使は弱い相手に限られるとみてよかろう。

 話を戻すと、こういう「強がり民族主義」のようなものは、中国がひとあし先にやっているのである。すなわち、中華民族という概念をでっち上げて、少数民族の住む辺境を強引に直轄化し、ODAと技術援助を惜しまなかった日本を脅して朝貢国の地位に格下げした。

 それが成功しているように見えるので、ロシアも同じことを思いついたのだろう。かつてのソ連はロシア本国から遠い異民族共和国に、ロシア人を計画的に移住させてきた。プーチン戦略では、そういう「資産」を改めて活用することになる。

 北京五輪の開会式で、正面貴賓席の福田首相が日本選手団の入場に起立せず、座ったままだったのが小さく報道された。立って手を振らなかったのは北朝鮮(のナンバー2)と日本の首相の2人だけだったらしい。

 あとで考えると、福田さんは間もなく辞任すると決めていたため、こんな派手な場面で世界にテレビ放映されるのは気が引けたということだろう。その1週間前の内閣改造にも、そういうことだったのかという任命が見てとれる(たとえば農水相、文部科学相)。

 福田首相を辞任に追い詰めたのは連立与党の公明党であることが知れ渡っている。インド洋での燃料給油活動継続を認めないと通告することで、実質的に福田首相に引導を渡した。

 1年前の安倍首相辞任とそっくりのように見えるが、本質的には違っている。安倍さんを追い詰めたのは小沢民主党だった。また今では信じがたいことだが、福田さんは外交が得意分野だと自負していた。
 その外交で、福田首相は国民の信頼をどんどん失っていった。「国民目線」どころか、中国目線になってしまった。北方領土問題でも拉致問題でもまったく進展はなかった。

 そして最後は、辞意表明会見で「先を見通す、この目の中には、決して順調ではない可能性がある」と述べて去った。珍な言い回しである。

 第2次欧州大戦勃発の直前(1939年)、平沼騏一郎首相が在任8ヵ月足らずで辞任したとき、「欧州の天地は複雑怪奇」という迷セリフを残した。

 福田首相は同じように、「欧州も日本も、どこもかしこも複雑怪奇」と言いたかったのであろう。政権投げ出しは、1年前の再現ではなく、69年前の再現だったのである。(おおいそ・まさよし 2008/09/07)


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