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国際政策コラム<よむ地球きる世界>No.119
    by 大礒正美(国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)

平成21年3月22日

      トヨタ・パナソニック合併しかない自動車大革命

 リーマン・ショックから約半年を経過したところで、原因である金融破綻よりも、その信用収縮の結果である消費の落ち込みのほうが大きな問題であることが分かってきた。

 なかでも特異なのが自動車産業であって、偶然とはいえ文字通り百年ぶりの大革命が背中を蹴飛ばすような勢いで訪れた。

 日本にとっては「黒船」の再来の如き衝撃である上、技術革新の観点からすれば、太平洋戦争前に空母とゼロ戦の最強海軍を完成して世界の頂点に立った瞬間、あっという間に逆転された経験を思い出すような有様となっている。

 問題の核心は、ヘンリー・フォードの「T型」が切り開いた自動車大衆化の社会が、1世紀に及ぶエンジン車の独占からようやく次の電気(電池)自動車の時代に転換することにある。

 日本は昨年(2008年)、とうとう生産台数で本場アメリカを抜いて首位に躍り出ると予測されたが、急激な需要低下に見舞われた結果、第3位だった中国に追い抜かれてしまった。現状ではもはや逆転のチャンスは巡ってこないと思われる。

 中国は、実際には先進国市場で競争力のある輸出車を作るレベルに達していない。それでも、その技術力の差が問題にならないところに、大革命の意味が存在しているのである。

 従来の常識では、クルマの最重要部品はエンジンに決まっている。途上国がまず取り組むノックダウン(組み立て)製造でも、エンジンの国産化が最後まで課題となる。

 電気自動車は、そのエンジンが要らないので、極端に言えば誰でも作ることができる。現に今年1月、デトロイトで開かれた「北米モーターショー」で、ある中国企業が「5人乗り、1回の充電で400キロ走行可能」という電気自動車を発表した。
 実はこの企業、大手の電池メーカーが参入してわずか数年という新興勢力だった。

 電池に関しては、世界でダントツという国や企業はなく、みんな横一線と言っていい。日本の自動車産業の優位性が一気に失われる事態に直面していることが分かるだろう。日本で初めて、三菱が今年市販する予定の電気自動車は、軽自動車並と小さく、一回の充電で160キロ走行可能と発表されている。

 このように公表ベースでは、日本より中国のほうが電池性能で一歩先行しているように見える。

 自動車は手作りベースと大企業ベースでは大きな違いがある。トヨタも元は豊田自動織機が手作りから始めて、今日の巨大メーカーに育った。イタリアのスーパーカー「ランボルギーニ」は、農機具工場の片隅から生まれた。

 ある程度完成された電池が入手できるならば、中国やインドを始め、世界のあらゆる町工場から無数の電気自動車が生み出されることになる。考えてみれば恐ろしいことである。
 
 百年に一度の自動車革命を生き抜くことができなければ、「空母とゼロ戦」の二の舞で、日本は第2の敗戦必至ということになる。そのために必要な対策が3つ考えられる。
 
 まず、大手クルマメーカーと大手電池メーカーの統合・合併で、巨大メーカーとしてのメリットを早めに確保すること。
 次に、電池製造技術を国内に囲い込み、決して先端技術を海外に移転せず、電池のみの販売も行わないこと。
 そして第3に、以上2つの目的を十全に達するよう政府・業界として法令化し、さらに税制で国産電気自動車への買い換えを促進すること。

 日本は今まで自動車産業に依存しすぎたとも言えるだろう。鉄鋼も造船も繊維も家電も、世界一の座を国策として中国や韓国に譲ってしまったあと、自動車が日本経済の大黒柱になったのは仕方がないことだった。

 しかし、自動車産業のやっかいなところは、どの国でも内需だけではこの産業を維持発展させることができないことだ。否、「だった」と過去形にするべきかもしれない。

 誰でも電気自動車を作れる時代になれば、輸出など考慮することのない町工場製自動車が主流となり、自動車産業自体が現在とは様変わりになることもあり得るだろう。それはまた、日本の経済構造が根底から変革を迫られることでもある。(おおいそ・まさよし 09/03/22)


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