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国際政策コラム<よむ地球きる世界>No.130
    by 大礒正美(国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)

平成22年2月26日

           宣誓すべきでなかった豊田社長

 米議会下院の公聴会に出席した豊田章男・トヨタ自動車社長らが、冒頭で起立し右手を挙げているシーンが紙面を飾っている。

 宣誓を求められるとまずいなと気になっていたので、議会中継ネットの「C-SPAN」で確認したところ、やはり危惧した通り「誓いますか swear?」と尋ねられ、イエスと答えていた。これはいけない。議員たちを騙したことになってしまう。

 一神教の世界(ユダヤ・キリスト教、イスラム)では、誓う相手は唯一神(造物主)であって人間ではない。その行為を英語では「swear」と呼ぶのであって、異教徒は swear することがそもそもできないのである。

 アメリカはキリスト教原理主義の国と言われるくらい、国の成り立ちがキリスト教と結びついている。憲法には大統領と公務員が就任するときの宣誓文が明記されていて、どちらも「swear」が原則だが、同時に「affirm」(確約)も可だとして寛容さを示している。

 豊田社長らが聞かされた文言は、裁判映画などでおなじみの「真実のみを述べ、真実以外の何ごとも述べないと誓いますか?」という決まり文句だが、「誓います I swear」と言ったら最後、偽りを述べれば神の罰の代わりとして重罰が科せられることになる。

 そんな基本的なことを、米国に進出して半世紀にもなる巨大企業トヨタの社長が全く知らなかったようだ。横に並ぶ北米トヨタ社長も同じくだ。たぶん高校野球の選手宣誓「のようなもの」と思ったのかもしれない。

 米国トヨタがおそらく数百人の法務専門家を抱え、対政府・議会ロビー活動に巨額の支出をしてきたのに、ただの一人も「宣誓してはいけません」と進言しなかったのだろうか。

 それなら豊田社長はどうすればよかったのだろうか。

 渡米したあとだったら、法務担当者から委員会側に連絡を取り、「豊田社長らは仏教徒だから宣誓はできない」と知らしめるべきだった。

 そうすると議員は米国憲法に精通しているから、「affirm」ではどうかと訊いてくるだろう。そこで、「公聴会出席は善意のあらわれであるから、証人喚問のような宣誓をさせるのは友好的でない」と申し入れる。これで、前哨戦から優位に立てるのである。

 そういう駆け引きが必要な世界なのだということを、豊田社長には知って欲しいものだ。

 もちろん、それ以前に、米国議会に日本企業の幹部を呼びつける権限はないので、「公聴会に出席するのは北米トヨタの幹部のみ」と通告すればそれですんだことだ。
 そして米国のマスメディアに、リーマン・ショックの際、日本の国会がリーマンの社長を証人喚問してつるし上げたかどうか問いかけたらよかった。

 日本人の外交下手は自他共に認めるところだが、アメリカと自主対等を標榜する鳩山首相が、自分の責任でない事柄では平気で「豊田社長の公聴会出席はよかった」などとノー天気なことをのたまう。

 また岡田外相もキャンベル国務次官補が来日すると、必ず面会に応じているようだ。
 これがおかしいのは、外交儀礼で局長クラスの次官補には局長が応対するものであり、事務次官、大臣政務官、副大臣の上、すなわち4格上の大臣には会えないのが普通だからだ。 

 官僚の世界は前例本位制だから、前任者の誰かがそういう悪しき前例を作ったのかもしれない。同じようなことが、非核三原則、武器輸出(禁止)三原則、河野談話、村山談話、中曽根首相の靖国参拝中止、等々、後代の日本国民の首を絞める前例にも言えることだ。

 豊田社長はとりあえず公聴会を乗り切ったと安堵しているかもしれないが、これからあと、いつでも「あれほど公聴会で swear したではないか」「偽証罪に問え」などと攻撃される種を播いたのである。

 米議会は、権限がなくても日本企業の幹部を呼びつければ飛んでくる、という前例を確立した。(おおいそ・まさよし 10/02/26)


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