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国際政策コラム<よむ地球きる世界>No.143
    by 大礒正美(国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)

平成23年3月28日

         全治10年100兆円でも甘いか

 東日本大震災を日本が乗り越えることは間違いない。被災地の被害の程度は阪神淡路大震災の数倍と見られている。阪神淡路の直接的被害は約10兆円とされ、3年間でその被害額を上回る投資が行われた結果、現地は予想よりも早く復興を遂げた。

 こんどはそうはいかないであろう。東日本太平洋岸の被災地が復興し、前よりも災害に強い沿岸都市が幾つも誕生することは疑いない。しかし問題はそこにあるのではない。

 今次大震災の本質は、原子力発電という地球的なエネルギー開発に突然急ブレーキがかかったということにある。

 それも過去の2大原発事故(1979年米スリーマイル島、86年ソ連チェルノブイリ)で一旦ブレーキが掛かり、20年以上の長い「脱原発」志向期を経てようやく世界的に「原発回帰」へと戻ってきた矢先だった。

 「スリーマイル以上チェルノブイリ以下」の福島ショックが日本と世界にどういう変化をもたらすか、別々に検討してみよう。

 まず日本では、原発の新・増設が当面、全く不可能になる。現段階で着工・計画中の14基はすべて中断され、安全対策が根本から見直されることは必至だ。

 その際、少なくとも太平洋岸の立地では、今次大震災の「マグニチュード9.0、津波の高さ10数メートル」が事実上の設計基準となる。これは大難関だ。

 技術的にそういう設計は不可能ではないが、現実にはコストが壁となって民間会社には耐えられないだろう。地元との交渉には長い年月を必要とするだろう。

 その上、既存の原発40数基(福島第一の6基を除く)についても、考えられる限りの追加安全対策を施さなければならない。これは例えば外部電源や冷却ポンプ類を高所に二重三重に設置するとか、専用堤防をかさ上げするというような程度でも、たいへんなコスト増となる。またそうした大規模工事中は当然、発電能力が低下せざるを得ない。

 地元や国の安全要求に耐えられない場合は、もう廃炉にした方がいいという判断もあり得よう。廃炉を含めてすべての追加コストはみな「後ろ向き」の投資でしかない。電力会社として耐えられるだろうか。

 阪神淡路大震災にはこういう問題がなかったので、3年10兆円で復興することができた。
 こんどは原発関係と、東京電力の発電能力が30%失われたことによる二次的損害がまだ算定不可能なほど大きく、かつ現在進行形である。

 つまり日本は今後何年もの間、原発問題で後ろ向きの投資(数兆円規模)を強いられながら、東京を中心に電力不足に耐え、かつ火力発電に投資を集中し、その燃料の入手に奔走しなければならないのである。

 次に世界的な波紋だが、いわゆる「原発ルネサンス」はバブルになる前にしぼんだと言えるだろう。
 30年間も新設を認めなかった米国が転換し、フランスを例外として脱原発に動いてきた欧州諸国も軒並み転向するのと並行して、中国、インド、中東産油国などが原発輸入国として名乗りを上げた。

 公式の「エネルギー白書2010」(資源エネルギー庁)によると、世界27ヵ国で176基がすでに建設・計画中であり、さらに構想中のものが36ヵ国282基もあるという。合計すると450基を超え、世界の原発がほぼ2倍となる勢いだ(ロイター11/3/17)。

 このうち中国が160基と飛び抜けて多く、次いでインド58基、ロシア44基、アメリカ32基と続く(Newsweek誌11/3/30)。

 この需要に対して供給側の日本企業は、東芝、日立、三菱重工の3社がそれぞれ30基以上の受注を目指すとしていた。満額なら各々10兆円規模のビジネスになるはずだった。
 まさしく絵に描いたようなバブルの始まりだった。

 バブルを早期に終わらせる役目を日本が果たした。そう考えればいいのではないか。

 米欧では安全基準を大幅に見直すことになるだろう。新興国は原発導入の条件として輸出企業に全面的な事故補償を要求するだろう。つまり、事故の際はすべての責任を企業側が負えということだから、民間企業にとってはとても呑めるものではない。

 韓国が技術を日米に依存しながらアブダビ初の原発4基を受注したことが日本にショックを与えたが、融資と建設だけでなく60年間の操業を請け負ったことが決め手だった。
 福島ショックを受けて、アブダビがさらに条件を上乗せし、事故の際の補償も韓国が負担せよと要求する可能性が強い。

 同じようなことが日本のベトナム原発受注、トルコ原発交渉などにも及んでくるかもしれない。

 そうなると原発建設に関する広範な国際基準が必要となってこよう。一種のグローバル化ともいえる要求が世界を動かすことになるかもしれない。
 
 以上のように分析すると、日本が直面する困難は1945年の敗戦に次ぐ規模と深刻さを内包するものであることが分かる。
 エネルギー資源大国である米ソの原発事故と、正反対の立場の日本における原発事故では比べものにならないのである。

 課題解決先進国としては、石油危機を乗り越えた省エネ技術をさらに越え、輸入に頼らない本当の国産エネルギーを志向するよう迫られたのだと理解すべきだろう。

 また同時に、原発先進国の傲りを捨てて、原発の危険性を最小限にとどめるシステム技術を開発することも、日本の責務であろう。飛行機も自動車もまだ百パーセント安全にはほど遠い技術だ。原子力のコントロールはまだその半分の歴史しかない。

 日本の未来を明るくするには、アポロ計画のように集中して10年、復興投資と別に数十兆円をエネルギー技術開発に投入する決意が必要である。(おおいそ・まさよし 2011/03/28)


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