title.jpg
国際政策コラム<よむ地球きる世界>No.147
    by 大礒正美(国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)

平成23年7月24日

         真の狙いはノーベル平和賞だ!?

 前月コラム「総理に読ませたくない亡国解散シナリオ」(No.146)の続きになる。

 菅直人首相に誰が吹き込んだのかは分からないが、自身がノーベル平和賞への道筋を歩んでいることを自覚していると思われる。
 すでに片手を賞にかけていると言ってもいいぐらいだ。

 ご冗談を、と言われるのは承知の上だが、だからこそ総理に読んでもらいたくないのである。

 菅氏がノーベル平和賞に手が届くかも、という根拠を客観的に挙げてみよう。

 第1に、一昨年(2009年)の同賞受賞者はオバマ米大統領だった。これは同年のプラハ演説で、「核のない(nuclear free)世界を目指す」と言い切ったことが評価されたものだ。 
 しかし、大統領に就任してわずか数ヵ月。何の実績もなく、いわば従来からの国策を転換させただけだが、それが重要なのであって、その理念を本当に追求せよという応援メッセージとしての授賞だった。

 このパターンは、菅総理にもピッタリ当てはまる。7月13日の記者会見で「原発に依存しない社会を目指す」と宣言し、「将来は原発がなくてもやっていける社会を実現」という表現で原発全廃が目標だと明示した。

 まさに、オバマ宣言と文言までそっくりだ。「原発がなくても、、」という言い回しはその後の国会答弁でも繰り返し使っている。オバマ演説を意識していることは明らかで、それはすなわちノーベル賞シナリオを意識していることの証左である。

 第2に、日本人の同賞受賞者は佐藤栄作・元首相だけだが(1974年)、受賞理由はあの不合理な「非核三原則」を中心とした核否定政策の推進ということだった。

 このパターンも菅総理に当てはまる。受賞者を選定する委員会では、対象者が自国の国益に反してでも理念理想を掲げて行動したことを高く評価する。
 菅氏はまだハッキリ言っていないが、すでに「脱原発三原則」をほぼ公表しているのだ。
1.原発依存ゼロを目指す
2.自然エネルギーで代替する
3.原発輸出を国家支援しない

 このうち2.については、5月のG8サミットで「自然エネルギーを20%以上に」と宣言し、今国会で「再生可能エネルギー促進法案」が成立確実な情勢になっている。海外からは首相の立派なイニシアティブのように見えるだろう。

 また3.については、7月19・20日の衆院予算委と21日の参院予算委で、原発の輸出について見直す必要があると答弁した。これは菅総理自身が推進してきた官民一丸となったインフラ輸出戦略を、完全にひっくり返すことを意味する。

 日本は統制国家ではないので民間企業による原発輸出の禁止はできないが、国家が外交と資金面で全面的支援をするという前提を白紙撤回することはできる。

 根拠の第3は、重要な点だが、ノーベル平和賞はスウェーデンでなく、ノルウェー議会が任命する独立の5人委員会が選定し、同国で授賞式も行う。そのノルウェーは原発を持たず、国民世論も反原発で自然エネルギー志向が強い。
 
 スウェーデンは逆に原発10基を持つ原発推進国なので、隣国ノルウェーとしてはそこに何らかの意思表示をしたいという関係にある。日本の「脱原発三原則」は大いに魅力的だろう。

 第4に、ノーベル平和賞はかなりの頻度で、世界平和と関わりの薄い政治的意図で選ばれている。昨年の中国学者、近年のイラン女性ジャーナリスト、ビルマ政治家スーチー、等々の受賞者は「人権活動家」で、それぞれの国を批判して圧迫を受けているのを支援する授賞だった。

 カーター米元大統領、金大中・韓国大統領などの指導者たちの受賞も、政治的意図という意味では似たようなものだ。オバマ、菅両氏も同じ範疇に入るだろう。菅氏の共同受賞者として、メルケル独首相も選ばれるかもしれない。

 菅氏は故意に党内、閣内で反発を買うように行動していると思われる。特に原発の担当大臣である海江田万里・経済産業相の決定を覆して、すべての原発の「再稼働」をストップさせたのは、対外的なアッピール効果を狙ったものだろう。
 平和賞委員会としては、見上げたリーダーシップだと判断するかもしれない。

 ノーベル平和賞に両手が届くためには、あと何が必要だろうか。「脱原発三原則」をより明確に世界に向けて宣言することである。

 8月中旬の広島、長崎式典での演説か、9月下旬の国連総会演説か、それとも佐藤首相退陣のボロボロ記者会見の再現か。
 佐藤氏は「記者は出ていけ」と全員追い出し、無人のテレビカメラに向かって話し続けた。

 日本を欠陥三原則で縛り、支持率17%で退いた佐藤氏でも、2年後に世界でいちばん名誉ある賞を手にした。ああ、菅総理に読んでもらいたくない。(おおいそ・まさよし 2011/07/24)


コラム一覧に戻る