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国際政策コラム<よむ地球きる世界>No.173
    by 大礒正美(国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)

平成25年8月23日

          法律センスを対米戦略の基本に

 オバマ大統領はハーバード大ロー・スクール(法職大学院)の優等生で、フロマン通商代表(閣僚)は当時の同級生だった。
 バイデン副大統領も弁護士出身。ケリー国務長官も同じ。その前任のヒラリー・クリントンはイェール大ロー・スクールで後に夫となるビルと出会い、2人3脚で有名弁護士となった。

 ルース駐日大使も弁護士。キャロライン・ケネディ次期駐日大使も弁護士。

 知る人ぞ知る、アメリカは弁護士が動かしている国である。それもどこかの国のように東大法学部卒で公務員試験を経て、すぐ中央官庁に就職するのと違い、法律専門家としての実務を豊富に経験してから、政治や公務員の世界に入るのが不文律である。

 日本を相手にする米国要人が、ちょっと見ただけでも弁護士だらけということが分かっているのだから、彼らの思考方法に合わせて対米外交を組み立てるのが常識というものだろう。果たして、日本側にそういう意識があるだろうか。

 韓国が法治国家を自ら否定する対日攻撃の判決を繰り返していることや、勝手に国内法を制定して国際法より上だと主張する中国について、オバマ政権の法律センスに訴える手法を日本はとっているだろうか。

 答はおそらく「ノー」だろう。なぜかといえば、日本人の法律センスは彼らのそれと、根本的に違う点があるからだ。
 日本では法律の内容を重視するが、米国では内容より外見(手続き、合法性)をより重視する。
 
 6月コラムで日本国憲法の「二重の違法性」を説明したが、米国の常識からすれば、なぜ日本は何も言い出さないのかと、実はイライラしながら60年待っているのではないかと思うほどだ。

 どういうことか分かりやすい例が最近もあった。フロリダ州で17歳の黒人少年が自警団を名乗る男(ラテン系)に射殺され、人種差別殺人だとして世論が沸騰した。オバマ大統領は飛び入りの形で記者会見場に現れ、「35年前の私だったかもしれない」と強い表現で世論に応えようとした。

 日本なら当然、銃器も刃物も持っていない丸腰の人を撃ち殺したら、被害者が少年でなくても、撃ち殺した事実を重視して、犯人は処罰されるはずだと考える。
 
 しかしアメリカでは「当然」が逆で、その男の裁判は先月、6人の陪審団が「非有罪」(ノット・ギルティー)と全員一致で評決し、結審した。この場合、控訴はない。(注:無罪という英語はない。)

 報道では、陪審団も最初は半々に割れていたという。それが6人で議論しているうちに(裁判官は入らない)、射殺の罪より、法律が自衛を容認している事実を重視し、有罪にできないという結論になったのだそうだ。

 多くの日本人が記憶している「服部君射殺事件」(1992年)も、同様のケースだった。ルイジアナ州の高校に留学中だった服部剛丈君が、仮装パーティーに出かけて家を間違い、その家の主人に射殺された事件だ。

 現地の検察は善意を尽くして裁判に持ち込んでくれたが、結果はやはり12人の陪審員一致の評決で「非有罪」で終わった。

 この時は、「身の危険を感じたら、逃げないで撃ってもいい」という意味の法律があるからだとして、ルイジアナ州法が特別なのだという解説もなされた。しかし実際には、この事件の後、かえってこの条文や解釈が全米に拡がって、今や多数説になっているようだ。

 法律の外見重視のなかでも、執行する手続きは、最も重要とさえ言えるだろう。いわゆる「due process デュープロセス」(法に基づく適正な手続き)に瑕疵(かし=きず、欠陥)が発見されると、捜査中でも裁判中でも、「それまで」でお終いになる。殺人犯とほぼ分かっていても放免となり、一事不再理の原則で、もう訴追することはできない。

 決して難しい話ではなく、ハリウッド映画で、容疑者を逮捕したら必ず「おまえの権利を読んでやる」と通告する場面がある。あれがいちばんよく知られた「適正手続き」の基本である。
 この告知(黙秘権がある、弁護士を付ける権利がある、など4項目)を忘れた場合は、逮捕が無効になってしまう。取り調べ開始までに、必ず告知しなくてはならない。

 米国の法律センスを理解する絶好の実例がある。1995年、フットボールのスーパースターだったO・J・シンプソンの殺人容疑裁判で、黒人の彼が白人の元妻とその男友達を刺し殺したことはほぼ間違いないと思われたのだが、陪審員の評決は「非有罪」となった。

 日本人が知るべきは、その理由となった「適正手続きの瑕疵」である。
 
 犯行現場に駆けつけた警官のひとりが、過去に人種差別的発言をしていた(録音テープが存在)というだけのことが、その瑕疵と判断されたのだった。
 つまり、そういう思想傾向を持つ白人警官が現場で証拠物件として確保したモノは、証拠能力が弱いとみなされ、結果的に「証拠不十分」となって、全員シロウトの陪審員でも「非有罪」とせざるを得なかったのである。 

 日本人は、手続きに多少の問題があっても、全体的に問題がなければ「目くじらを立てない」のがオトナだと考えるのではないだろうか。
 
 それがいいとか悪いとかいう問題ではなく、米国の法律センスに日本が合わせて、対米外交を組み直し、この面でできるだけ一致していくことが急務だということである。

 「法の支配」を掲げる安倍外交も、オバマ大統領と法律センスが一致していなければ(今はその恐れが強い)、何の成果も期待できないだろう。
 
 「弁護士オバマ」の琴線に触れるアプローチを、日本は今までやってこなかった。安倍政権のみならず、歴代政権の一大盲点であろう。
(おおいそ・まさよし 2013/08/23)


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