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国際政策コラム<よむ地球きる世界>No.183
    by 大礒正美(国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)

平成26年6月24日

         ロレンスで分かるイラク急変の衝撃度

 3月の当コラムで、中国、韓国に続くロシアの歴史逆行爆弾(クリミア回収)を指摘したばかりだが、早くも中東にこの現象が波及してきたようだ。

 6月に入って、いきなりイラク第2の都市モスルを無血占領し、首都バグダッド近郊まで迫ってきた武装組織「ISIS」(ISILとも)が、ロシアのクリミア併合に匹敵する衝撃を欧米指導者に与えている。

 この勢力の実体は不明で、一時はテロ組織アルカイダの一部だったといわれるが、重要なのはその名称そのものである。
 英語で「Islamic State in Iraq and Syria」、又は「L」ならレバント(大シリア、歴史的シリア)なので、同じ意味だと言っていい。すなわち「イラクとシリアを支配するイスラム国」というのが組織名だ。

 これは、例えていうと「中華最大帝国党」というようなもので、党名がそのまま目的を表しているわけである。

 その目的が、歴史的シリアといわれる広大な地域を取り戻すことにある、と誰にでも分かるようになっているところがミソだ。

 日本人には分かりにくいように感じるかもしれないが、実はピーター・オトゥール主演の名作「アラビアのロレンス」が、まさにこの時代を物語っているので、逆に理解しやすい歴史逆行と言えるだろう。

 1910年代、オスマントルコ帝国が滅亡する過程で、中東研究者だったロレンスは英国軍部の依頼で工作員となり、アラブの諸部族を糾合してトルコ軍と戦い、ついに1918年10月、トルコ軍の拠点だったシリアのダマスカスを陥落させた。

 ロレンスはアラブ人に独立国を許すという英国の約束(1915年マクマホン書簡)を信じて、アラブ部族を説得してきたのだが、実は英国は仏露両国と密約を結んでおり(1916年サイクス・ピコ協定)、イラク地方(クウェート含む)を英国が、シリア地方(レバノン含む)をフランスが取ることにしていた。
 
 ロレンスは祖国の政府に騙されてアラブと共に戦い、勝利した瞬間に用済みとなって追い払われ、同時にアラブにとっては裏切り者ナンバーワンとなってしまった。
 
 アラブ人の独立国になるべき地域は、見事に英仏両国の植民地に分割された。イラクという地域概念が、この時に出来上がった。英国は大油田の存在を知っていたとされる。

 英国はさらに1917年、バルフォア宣言で欧州のユダヤ人組織に、パレスチナ「帰還」の支持を約束している。歴史に残る「三枚舌外交」だ。今日の解決不可能な中東問題を生み出した原因である。
 パレスチナとヨルダン地方も、大シリアの一部だったが、1922年に国際連盟で英国の権益が認められた。

 つまり、「イラクとシリアを合わせたイスラム国」というのは、ロレンスが信じてアラブ人に与えられるはずだった独立国家の夢を、いま実現しようというスローガンなのである。

 3月コラムで指摘したように、アヘン戦争以前の中華帝国を再現しようとする中国と、日本を蔑み中華帝国に忠誠を尽くそうとした明治初期に戻った韓国、そしてクリミヤ回収を手始めに旧ソ連に戻りたいプーチン・ロシアの3つの例は、いずれも分かりやすい歴史回帰願望である。
 そして、このアラブの夢への回帰もまた、非常に分かりやすい歴史逆行のパターンなのである。

 欧米は日本人と違って本能的に反西欧の本質に気がついているので、このイラク危機をイスラムのスンニー派とシーア派の抗争にすり替えて強調している。考えてみれば、異民族を分断し、相争わせて支配する「Divide and Rule」は、英国のお家芸と言えるものだ。

 イスラムの分裂に惑わされることなく、本質を見抜いて次の展開を予想すると、まず波及効果としてクルド人の完全独立の可能性が高い。
 イラク北部、イラン、トルコ、シリアの国境地域に広がるクルド人は2千万とも3千万ともいわれる大勢力で、1946年に1年足らずの独立国「クルディスタン共和国」を称したことがある(ソ連だけが承認)。
 また1922〜24年には「クルディスタン王国」があったとも言われる。

 つまり、これもクルド人の「栄光への歴史逆行」にほかならない。イラクのクルド人は今や石油地帯のキルクークを完全支配したようで、経済的にも独立国の基盤は整ったとみられる。

 しかし、すぐ分かるように、これだけでも居住する4ヵ国にとってはとんでもない事態である。中韓露に続く4つ目のパンドラの箱が、5つに増え、さらに加速度を付けていくことは間違いない。

 イスラエルという異質の存在は、中東に「西欧の飛び地」があるようなものだ。中東の歴史逆行がここまで及んでくると、さあ、どういうことになるだろうか。

 今のところは、「ISIS」部隊に西欧在住のイスラム教徒が続々と加わっているらしいとか、大都市モスルを守る3万のイラク政府軍が戦車からヘリコプターまで残して、戦わずして消えたとか、肝心の軍資金はサウジアラビアから来ているのではないか、といった情報をよく分析しておくべきだろう。
 ロレンスの「錦の御旗」がどう理解されているか、指導者の考えを知りたいものだ。

 報道では新勢力の冷酷で残虐な支配が強調されているようだが、ロレンスも狂気のように残酷な戦いぶりを垣間見せていた。スンニー過激派と決めつける欧米の報道ぶりには、気をつけるべきだろう。

 欧米にとって、イスラエルとサウジ(の石油)は絶対に捨てられないレッドラインだ。しかし、そのサウジ政府は米国に失望し、どんどん批判的になってきている。オバマ政権に見切りを付け、次の大統領に期待しているのかもしれない。

 それにしても、英国の罪の深さには改めて驚かざるを得ない。それでも英国は謝らない。決して謝罪はしない。日本流とどちらが世界標準か、問うまでもないが、、。
(おおいそ・まさよし 2014/06/24)


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