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国際政策コラム<よむ地球きる世界>No.184
    by 大礒正美(国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)

平成26年7月25日

         天皇を謝罪特使に決めた外務次官

 一般に、情報分析とか諜報(インテリジェンス)の仕事は、ほとんどが公開されている情報を集め、パズルのように当てはめていくことだと言われる。

 その典型のような事例が突然現れたので、改めて紹介しておきたい。

 それは読売朝刊に連載された岡崎久彦氏の回顧録「日本外交とともに」第22回(7/2)で、日本外交の根本的欠陥がとんでもない個人名と共に明らかにされている。

 同氏がタイ駐在大使のとき、今上陛下が平成3年(1991)9月末から、即位後初めての外遊でタイ、マレーシア、インドネシアを歴訪されることになった。そのときの話である。以下に、正確に引用する。


<外務省本省から、バンコクで予定されていた天皇陛下のお言葉として、真っ先に先の戦争で日本のした行為を謝罪する案が来た。私は反対でした。タイには日本に謝罪を求める気持ちなどないことを知っていましたから。タイ外務省に確認し、何も謝ってもらう必要はない、とのタイ側の意思を本省に伝達しました。
 抵抗していたら小和田恒次官が、これで勘弁してくれって言ってきたのは、天皇陛下が、まず日本とタイがいかに仲がよかったかと、お言葉をずっと述べられる。そして最後に、全東南アジアに向けての発言として、「先の誠に不幸な戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう平和国家として生きることを決意」という言葉を述べていただくことにした、という。>(引用終わり)


 この記述はあまりにも重大なので、かえって大手メディアはどこも取りあげていない。一部ネットでは話題になっている。この発言を情報分析してみよう。

 まず第1に、外務省が天皇を、堂々と「政治利用」していることが明白になった。5年前、民主党政権下で、習近平・中国副主席が天皇との会見を強要して問題になった例がある。
 憲法上、天皇は政治的機能を持たないとされているのに、こともあろうに外務省が天皇を謝罪特使として、親善訪問先の国に対し、いちいち謝罪のお言葉を言わせようとしたのである。

 第2に、その1年後、宮沢喜一首相の下で、歴史上初めての天皇訪中が強行(!)されたが、これもやはり小和田外務次官の仕事であった。もっと悪いことに、この数ヵ月前には中国が尖閣諸島を中国領土とした「領海法」を定めているのである。

 これで中国にしてみれば、天皇の来訪は歴史の謝罪特使であるばかりか、「すべて仰せの通りです」と恭順に来たと受け取ることになった。

 その証拠に、親善どころか、翌年から江沢民主席による反日愛国主義教育が始まり、「偉大な中華」再興を刺激し、歴史認識を外交武器とする露骨な対日圧力に至っている。
 当コラムで既述のように、これは戦後日本の最大の外交失敗である。 
 
 第3に、外務省が天皇謝罪特使を送り込む相手として、まだ実現していないところが1つ残っている。いうまでもなく、朝鮮半島である。

 2年前の8月、韓国の李明博大統領は竹島上陸を強行した4日後、唐突に「日王が訪韓したがっているが、、」と話し始め、明らかな侮辱と謝罪要求を公言して反日を激化させた。
 
 このあとは推測になるが、日本外務省が「小和田外交方針」を受け継いでいるという前提に立てば、水面下で韓国側と、天皇訪韓を検討してきたはずだと見るのが自然だろう。その延長で、唐突に見える李大統領の発言になったのではないか、と考えることができよう。

 これで、パズルの空いた一コマが埋まったことになるかもしれない。

 「中国が領海法を制定したすぐあとに、日本は天皇を差し出した。それなら、われわれも独島(竹島)に大統領が上陸してみせれば、日本は天皇を差し出すのではないか」と、李大統領は考えたのかもしれない。
 いかにも中華思想に染まった夢想、妄想としか言えないが、そうさせたとすれば日本にも責任があるということだ。

 第4に、最も重要なことかもしれないが、岡崎氏が小和田次官を名指ししたことである。引用部分を注意深く読めば、単に「本省の訓令」と言えば済むことなのに、実名と官名、そして命令の中身まで明らかにしている。

 岡崎氏は辞表を書いて抵抗することも考えたと付け加えているが、この書き方で外務省の主流がいかに日本を貶(おとし)め、外交的に失敗を重ねてきたかを告発しているのである。

 外務省きっての情報のプロである同氏が、守秘義務を無視してまで情報を公開した意図は、あくまで推測の域を出ない。そこで、ここでは2つの事実のみを挙げておくことにする。
 
 小和田氏は事務次官のあと、現在まで事実上「現役」の最長老であること(国連大使等を経て国際司法裁判所判事)と、数年後に新天皇陛下の岳父になることがほぼ確実だということである。
(おおいそ・まさよし 2014/07/25)


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