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国際政策コラム<よむ地球きる世界>No.185
    by 大礒正美(国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)

平成26年8月28日

          自衛権と政教分離誤認を正常化せよ

 安倍政権の前途が不透明になってきた。8月の世論調査では、内閣支持率がちょうど5割前後となっているが(NHK、読売、共同)、「集団的自衛権の行使容認」を評価する声は、多くても3割台にとどまっているようだ。
 それぐらい理解されていないということである。

 この問題は徐々にボディーブローとなって、安倍政権の足を引っ張ることになるかもしれない。

 ちょっと考えてみれば分かることだが、国家の自衛権が憲法によって制限されているのは、占領軍が日本をそういう状態にしておくことを要求したからである。
 それならば、国際連合にも加盟できないはずだから、日本は憲法を改正するか、それが間に合わなければ、当然、解釈を変えて、正常な解釈を国民に提示するのが政権の責務である。

 念のために確認すると、国連憲章51条に加盟国の「個別的または集団的自衛の固有の権利」が明記されており、さらに国連自体が加盟国のために「措置をとる」としている。
 個別的と集団的の2つは並列で、区別はなく、その上に国連という傘、すなわち集団的安全保障という概念がかぶさっている。

 したがって安倍晋三首相は、単純明快に「自衛権の正常化」と言えばよかったのである。あるいは「自衛権の正常化、国際化、常識化」と言えばもっとよかった。

 しかし、どういうわけか中身に分け入って「複雑化」してしまい、誰にも分からないような神学論争に持ち込んでしまった。旧三要件、新三要件、3類型、8事例、15事例、グレーゾーン、駆け付け警護などという議論をすべて理解した国民がどれだけいるだろうか。

 こうなると反対野党、左翼メディア、平和真理教の側は断然勢いづく。得意の単純スローガンが威力を発揮するチャンスだからだ。
 
 「解釈改憲」という四字熟語が安倍叩きのスローガンとなり、あっという間に「悪いことだ」というイメージが拡がってしまった。「正常化」という分かりやすい三字熟語を使わなかったために、イメージ戦略で完敗したのである。

 過去にも、「憲法改悪」反対とか、「格差拡大社会」というようなレッテル貼りが、長いあいだ社会党系、組合組織系の得意技だった。英米でも「ラベル貼り」といって、いろいろな場面で有効な攻撃手段とされている。例の「性奴隷」も典型的なラベル貼りだ。

 安倍政権は7月1日に、集団的自衛権はあるが行使できない、という従来の憲法解釈を変更すると閣議決定した。
 しかし、全面的容認ではないので、何をどう限定的に容認しようというのか、誰にも分からない。自衛隊法など多くの関連法改正論議で徐々に明らかになるはずだということで、いわば混乱、混沌を政府が自ら作りだしたわけである。

 これで自民党の仲間内で、全面的容認論の石破幹事長、中谷元防衛庁長官などの有力議員を落胆させ、党外でも改憲がスジだという保守派の反発を買う結果となってしまった。

 この事態をどう打開するか、かなり難しい局面だが、1つの提案をしてみたい。それは全く同じ憲法解釈の「正常化、国際化、常識化」を待っている憲法第20条を、自衛権と比べて理解してもらうという方法である。

 憲法20条は、いわゆる「信教の自由」を謳っているが、実際には1項で「宗教団体」、3項で「国及びその機関」に対して、それぞれ「、、してはならない」と繰り返しており、明らかに「国家神道」を念頭に置いていることがうかがえる。

 お手本とされる米国の権利章典では、信教の自由を阻害する「立法の禁止」を謳っているだけなので、憲法草案を書いた占領軍の意図が、国家神道を絶滅させることにあったのだろうと、逆に推測できるわけである。

 日本はあろうことか、第3項の「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」という条文を、独自に拡大解釈し、明文に無いのに「一切の公金を支出してはならない」と最高裁が判決して今日まで来ている。
 「玉串料は私費です」とか「私人として参拝」などと政治家がことわるのは、この間違った憲法解釈が原因である。

 考えるまでもなく、占領軍が何を意図したとしても、独立したあとはもう関係ない。日本国の都合のいい独自の解釈を適用するのが当然だ。

 また、重要なことだが、世界の国のほとんどは、何らかの宗教を基盤にして成り立っている。米英を始め、西欧や中南米諸国はキリスト教を基本にした「国家キリスト教」だ。イスラムの諸国は強固な「国家イスラム教」、中国や旧ソ連は「国家共産主義教」である。

 日本は大昔から「国家神道」に仏教を組み入れた宗教基盤を持っている。その歴史と現実に合わせて、憲法20条の解釈を正常化するべきであり、それが世界に対する国際化、常識化になるのである。

 靖国神社を嫌って、「無宗教の追悼施設」を建てようという提案が政治家からも出されているが、これほど愚かなことはない。

 世界の常識では、無宗教は悪いことであって、特に一神教の文化では「神(創造主)と対立する」、すなわち悪魔の側に立つと受け取られる恐れがある。
 そのため、留学する日本人学生には、自分は無宗教だと言わないようにと指導するのが、送り出すほうの常識となっている。

 今月、カトリックが1割しかいない韓国で、ローマ法王が盛大な歓迎を受け、公式に大統領がミサに参加して祝福を受けた。また米国ではクリスマスに、大統領がホワイトハウスに子供たちを招いて恒例の儀式を行うが、もともとユダヤ教や他の宗教ではクリスマスを祝わない。

 費用は公費か私費かなど、誰も問題にしない。

 日本国民が政教分離をいかに誤解しているかが分かるというものだ。日本だけで通用する「ガラパゴス化」が、9条と20条に特に顕著に現れているのである。

 この2つのガラパゴス化問題は、実は1つの点で繋がっている。憲法20条の第1項を文言そのままに解釈すると、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、 又は政治上の権力を行使してはならない」とあるので、与党である公明党の存在と政治活動に疑義が生じることになる。
 
 最後に種明かしをすると、すでに6月、政治の裏表に精通している飯島勲・内閣官房参与が米国で、軽く、この点に言及している。政権内部で認識が進んでいることを期待したい。
(おおいそ・まさよし 2014/08/28)


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