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国際政策コラム<よむ地球きる世界>No.187
    by 大礒正美(国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)

平成26年10月28日

          自覚があるか安倍首相の三大矛盾

 「鉄の女」サッチャー英首相が初めてゴルバチョフ(のちソ連大統領)と会談したあと、「We can do business with him.」と評したことはよく知られている。「話が通じる」という好意的な表現だ。

 残念ながら安倍晋三首相は、オバマ米大統領からそう言われるまでに至っていない。外交に熱心で約50ヵ国を歴訪したが、米欧の首脳たちの対応はかなり儀礼的であり、米英独などのメディアに至っては理不尽なほど辛口と言える。

 これは、東南アジアやインド、トルコなどでの歓迎ぶりと対照的である。

 サッチャーの好意的なゴルバチョフ評が世界を動かし、冷戦終結(ソ連の完敗)、ソ連崩壊へと歴史の雪崩が起きた。それほどのパワーでなくても、米大統領が「アベとは話が通じる」と一言言えば、日本を巡る国際環境はガラリと変わることが期待できよう。

 なぜそうならないのか、ひとつの理由は、安倍首相が矛盾したことを平気で言い続けているからである。それを3つの事例に分けて説明してみよう。

 第1の矛盾は、「法の支配」を前面に出して外交の基本に据えているが、具体的行動が全く逆であることだ。

 たとえば、島根県の竹島に2年前、李明博・韓国大統領が初めて上陸して見せたとき、日本政府はとうとう、国際司法裁判所に提訴する準備を始めると表明した。過去2回、同じような意思表示をしたが、いつの間にか消えている。

 3度目にようやく提訴が実現するかと思われたが、安倍政権になって全く動きがない。フィリピンでさえ(?)中国相手に昨年、国連国際海洋法に基づく仲裁手続きに訴えたのに、日本は総理が止めているとしか思えない。

 また昨年初めに、日本が引き渡しを求めた中国人犯罪容疑者を、韓国は中国に送り返してしまった。日韓二国間の「犯罪人引渡し条約」違反であることを、どうして放置しているのか。

 同じように、韓国は対馬の寺から韓国人が盗み出した仏像を、事件と関係なく、なぜ日本に渡ったのかを解明しないうちは返還しないと決定した。これは盗難美術品の返還義務を定めたユネスコの「文化財不法輸出入等禁止条約」違反であるが、日本政府は抗議を拒否されるとあとは何もしていない。

 もっと重要なのは、ソウルの日本大使館前に据えられた「慰安婦少女」の像と、日頃繰り返される抗議集会に関してである。これらの嫌がらせ行為を放置することは、「外交関係に関するウィーン条約」の違反になる。
 韓国政府は「公館の安寧の妨害又は公館の威厳の侵害を防止」する「特別の責務」を負っているのである(22条2項)。

 安倍首相は「前提条件なしに首脳会談を」と呼びかけているが、こうした幾つもの「法の支配」違反に目をつぶっているのはどういうわけか。
 オバマ大統領以下の米首脳陣は法律家ばかりだから、とても理解できないと感じているだろう。つまり、日本側に弱みがあるから前提条件をつけないのだろう、と思われても仕方がない。

 それどころか日本も、朝鮮総連本部ビルの強制売却手続きを、執行寸前に最高裁判所が差し止めた。これは時期的に拉致問題再調査合意と一致しているため、国内でも安倍政権の意向ではないかとささやかれている。

 まさか三権分立の日本で、最高裁が行政の道具に使われるはずはないと信じたいが、実際、中国漁船の領海侵犯、巡視船体当たり事件のとき、菅直人政権が検察をウラ指揮して船長を釈放させた実例がある。
 これでは、「人治」の中国、「情治」の韓国に対して、「法治」の日本だと胸を張っても説得力はない。

 韓国人の国連事務総長が、韓国で、韓国語で、日本批判を行った際も、日本政府は決して「国連憲章違反」と言わず、「遺憾」で収めた。

 どこに「法の支配」の実態があるのか、国内外への広報の努力がどこにも見えない。

 次に第2の矛盾だが、「積極的平和主義」を看板に掲げ、集団的自衛権行使を容認する憲法解釈変更を閣議決定したが、同時に靖国神社参拝などの際、「不戦の誓いを堅持」と世論に訴えている。

 「積極的」を英語の「アクティブ」と解釈すると、そういう平和主義は、実は宗教的・政治的な暴力否定・兵役拒否などの思想行動を意味する。米国のクエーカー教徒とか原始的生活をするアーミッシュなどのイメージが強く出てくる。

 そこに「不戦の誓い」を重ねると、「自衛隊は戦わないので、同盟諸国の皆さん、日本の防衛のために戦って下さい」という意味になってしまう。

 安倍総理の本意は、「平和は天から降ってくるものではなく、戦い取ることも必要な場合がある」ということだろうが、国民向けにはそう言わないので、米国においては特に矛盾がひどいと受け取られる恐れがある。

 第3の矛盾は、いわゆる慰安婦問題の処理を間違ったことである。朝日新聞の誤報訂正によって、慰安婦の「強制連行」が事実無根だったことが、国内的には急速に認知が進んでいる。
 しかし、安倍政権が河野談話を継承すると言う限り、海外とくに米国においては何の是正も進まない。日本国内と国外の認識がどんどん乖離していくことになる。

 それどころか「談話は見直さないが、検証はする」「談話(文章)はいいが、あとの口頭発言が大きな問題だ」という具合に、外国からすれば何を言っているのか分からない対応が続く。日本に対する不信感が増すだけだ。
 
 つまり、よく言うところの「戦力の逐次投入(小出し)」という愚策をそのままやっているわけである。

 「ナニナニは元から絶たなきゃダメ」という格言が、ここでもそっくり当てはまる。河野官房長官談話(宮沢政権、93年)だけでなく、村山首相談話(95年)をセットで否定するところから、第2次安倍内閣はスタートするべきだった。

 村山談話は、米国であれば存在すら許されないような社会主義政党の、それも最左派という人物が思いがけず暫定的な首相になり、自分の自虐思想を置き土産にしただけのシロモノである(在任13ヵ月、河野は副総理・外相)。

 オバマはそんな日本政治の特殊事情を全く知らないだろう。この2人の談話が中韓両国の日本叩きに根拠を与え、日本を貶める国家的な運動を生み出したという認識も希薄だろう。 
 しかし、すでに中韓の反日同盟が、米韓・米日の安全保障トライアングルを形骸化させ、米国の国益を大きく損ねていることは分かっているはずだ。

 オバマ政権に「積極的」に、その因果関係を分からせ、原因である2つの談話の破壊力を理解させることこそ、復活した安倍総理の歴史的責任というものではないだろうか。
(おおいそ・まさよし 2014/10/28)


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