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国際政策コラム<よむ地球きる世界>No.206
    by 大礒正美(国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)

平成28年5月28日

           オバマ広島訪問はパンドラの箱

 ほとんどの被爆者と大多数の日本国民は、オバマ大統領の広島訪問を歓迎したと思われる。しかし、安倍晋三首相はおそらく、「とんでもないパンドラの箱を開けたのではないか」と内心、夜も眠れないほど悩んでいるはずだ。

 米国民の過半数がいまでも、原爆攻撃は日本を降伏させるために必要だったと信じ込んでいる。それは百万の米兵の戦死を防いだと同時に、日本人の無用な犠牲も防いだのだから、ヒロシマ・ナガサキは絶対の善だったという正当化に集約される。

 そこから、絶対の悪である真珠湾奇襲で戦争を始めたのは日本であるから、日本は真珠湾の報復をこういう形で受けるのは当然だという意識が生まれる。

 日本人のほうは奇襲という作戦は決して絶対悪とは考えておらず、民間人を数十万も殺戮する無差別攻撃こそ絶対悪だとみなしている。

 この受け止め方の大きな差異が、これから火を噴いてくる可能性が高いのである。

 日米共同記者会見で質問が出たように、以前からオバマ大統領は広島へ、安倍総理は真珠湾へと相互訪問したらどうかとか、するといいとか、するべきだとか、「相互」があたかも何かの解決策のように提案されてきた。

 実際、米政府から「大統領の広島訪問を望むなら、その前に安倍総理が真珠湾に行ったらどうか」という打診があったとも言われる。真偽は分からないが、総理の答は明確にそういう計画はないということだった。

 安倍総理は、自分が真珠湾に行けば、上記のアメリカ国民の信じ込んだ因果関係を公式に認めたことになる、ということがよく分かっていると思われる。

 しかし、今後は「次は安倍総理の真珠湾訪問だ」という声が、米国内からだけでなく、日本国内の反日自虐のメディアからも強く出てくるだろう。

 パンドラの箱というのは、中国と韓国も「これでまた日本を歴史問題で責め続ける材料ができた」と勇み立つ恐れである。

 すでに中国は「南京大屠殺紀年館」(これが現地表現)に安倍が来るべきだと言い出し、韓国は4年前に前大統領が、「日王(天皇を格下げした呼び方)に土下座させる」と豪語して外交問題を引き起こしている。

 南京大虐殺という大宣伝は、日本の研究者だけでなくヘンリー・ストークス元NYタイムズ東京支局長やケント・ギルバート弁護士らによって、完全なでっち上げ(ファブリケーション)と証明されている。
 しかし中国は改めて、「広島に行ったなら、もっとひどい殺戮被害の記念館に来るべきだ」と、早くも居丈高になっている。

 つまり、広島原爆という実体と並べることによって、南京大虐殺が事実だと世界相手に刷り込むことが目的なのである。

 日本人はオバマ大統領が広島で頭を下げなくても、明確な謝罪を言わなくても、訪問しただけで十分という精神文化を持っている。

 これが、日本の「寛恕」というこころであろう。

 しかし中韓両国は全く逆の文化である。いちど謝罪すれば、永久に謝罪を繰り返すよう要求する。そうすることで自分が永久に優位に立とうとする。
 中国のことわざにあるように、「水に落ちた犬を打て」と、弱い立場に追い詰めた相手をトコトン打ちのめすのが彼らの文化である。

 オバマの広島訪問は彼個人の政治的遺産(レガシー)にはなっても、日米関係にとって、また日本の対米、対中、対韓外交にとって、プラスの展望には必ずしもならないのである。
 このパンドラの箱を閉じるには、「悪の真珠湾と善の原爆」という米国製の神話を修正するしかない。

 まだまだ少数派だが、米国のまともな研究者の多数は、トルーマン大統領が「日本の降伏が近いことを知っていながら、ソ連を牽制するために原爆を使用した」(ピーター・カズニック教授、オリバー・ストーン監督など)と考えている。

 おそらく歴代の大統領もみな、そういう過去の重要文書を見ているはずだが、ソ連を牽制(または脅し、抑止)するために広島・長崎に原爆を落としたのだとは言いにくいだろう。

 政策判断としては正しかったとしても、米兵百万人の生命を救うためだったという虚構よりも、罪がずっと重いと認めることになるからだ。

 米歴史家のイアン・トール氏によれば、ソ連を牽制するために必要だという結論は、当時の国務長官とトルーマンの膝詰め会議で急遽決まったという。「この会議自体の記録は残っていないが、さまざまな証拠はそれを示唆しているように思える」(産経5/26)。

 実は当時の事実を時系列で見るだけでも、おおよその見当はつくのである。トルーマン大統領はおそらく「ソ連の対日参戦は必要ない」と通告して8月6日、広島に原爆を使用した。
 しかしソ連の独裁者スターリンは原爆の威力をよく認識していなかったため、かえって悪乗りして8日に対日宣戦布告した。

 トルーマンはそこで、「これはいけない」と判断し、もう一度「ダメ押し」で翌9日、長崎に投下して見せた。
 広島にはウラン型、長崎にはプルトニウム型と2種類の原爆を使い分けたのは、両方のタイプを複数個、実戦用に蓄積があるぞという考え抜かれた脅しだろう。

 スターリンが原爆の破壊力をよく知らなかったのは無理のないことで、実際の被害状況は米軍の撮った航空写真を見せられなければ信じられなかったであろう。

 長崎以降に米ソの間でどういうやりとりがあったかは詳しい記録が公になっていない。しかし、約2週間後の22日、北海道占領を目前にしたソ連海軍の上陸作戦部隊が、留萌沖から突然転進命令を受けて撤退し、日本は北海道を失う寸前で助かった。

 この事実は日本でも知られていて、9年前、久間章生・防衛相が広島・長崎の原爆と北海道を結びつけたような発言をして問題になり、辞任を余儀なくされたことがある。

 この因果関係を日本はいま、外交の強力なテコとして使うことができるのではないだろうか。
 安倍総理はプーチン大統領と話ができると自負しているようだから、ロシアと共同で旧ソ連の文書を調査したいと持ちかける。
 スターリンがどういう経緯で北海道上陸作戦を断念したのか、米側とのコミュニケーションがどのように行われたのかを、ソ連の資料で立証できるかもしれない。

 トルーマンが1945年4月、ルーズベルトの病死で副大統領から昇格したとき、自分が重要なことを何ひとつ知らされていなかったことを知って激怒したという話がある。

 病魔に冒されて判断力を失っていた前任者が、同年2月のヤルタ会談を含めて、どんなに重要な譲歩をソ連に与えてしまったか、それを知ってトルーマンが核兵器保有の優位をどう活用しようとしたか。

 その隠された終戦時外交史を、日本が主導して解明していくという意欲的な方法論である。
 もし、その結果、本当にスターリンが米国の核使用を匂わせた恫喝に屈して、北海道占領を諦めたことが証明されたならば、日本は淡々とその事実だけを公表すればいい。

 日本は広島・長崎の犠牲において東西ドイツのような分割占領を免れ、日本人同士が戦う内戦の危機を回避し、今日の先進国日本を確立することができたと、ことさらに主張する必要もない。

 そこで活きてくるのは、日本の「寛恕」という精神文化であろう。(おおいそ・まさよし 2016/05/28) 
 

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