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国際政策コラム<よむ地球きる世界>No.209
    by 大礒正美(国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)

平成28年8月27日

         英文にはない「国民の総意」

 天皇陛下のビデオメッセージ(8月8日)は、あらゆる意味で歴史に残る文書と言える。昭和天皇のいわゆる「人間宣言」(終戦翌年)に続く、第2の「平成版人間宣言」であることは間違いない。

 しかし陛下の「生前退位」(正しくは譲位)の意志は、当然ながら皇室典範の改定を必要とする上、皇室家法である旧典範以来の「摂政」を真っ向から否定する過激なものだった。

 それだけでなく、憲法自体が退位、譲位を想定していないことは明らかなので、改憲の際は必ず改訂を迫ることになる。
 いわゆる護憲勢力にとっても、どう扱っていいものか、論評に困っているようだ。

 どうしてこのようなビデオメッセージが公開に至ったのか、はなはだ疑問であるが、想像をたくましくするに、おそらく国民に直接訴えるのがスジだという陛下のお考えと、「とうてい無理な要求だ」とさじを投げた政府の考えが、手法だけ一致したということではないだろうか。

 結果的には、直後の世論調査でほとんど8割から9割の国民が肯定的に受け止めたことがわかる。

 そこで不勉強なメディアでは、憲法1条の「国民の総意」とみなしていいだろうという結論まで引き出したところがある。

 しかし、とんでもない早とちりである。憲法の英文は、マッカーサー司令部(GHQ)が押しつけた草案(1946年2月)でも、後に制定された日本国憲法の英訳でも、「総意」にあたる文言はないのである。

 GHQ草案では、天皇はシンボルであって、その地位は
「deriving his position from the sovereign will of the People, and from no other source」
となっていた。ディライブは「○○に由来する」という意味だ。

 つまり、シンボルとは国民の主権的意思に従属するのであって、後段でさらに「その他の源泉」すなわち宗教的権威(=神道)に基づくものではない、と念を押している。

 この後段部分は憲法に盛り込まれなかったが、この条文は、天皇の存在意義をできるだけ小さく限定しようというGHQの意志をよく表していると言えよう。

 ところが日本側は、「will」を「総意」と誤訳して、逆に天皇の存在意義を最大限に大きくしたのである。

 憲法の第1章(天皇)第1条は、いわば一丁目一番地であるから、ここに新登場した「象徴」と「総意」が、戦後の日本国民に新鮮な驚きをもたらしたことは想像に難くない。

 第1条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」

 まことに見事な換骨奪胎で、意図的な誤訳もここまでやると超訳の部類に入る。もちろん、「象徴」も「総意」も、ことば(漢字)の「あや」で定義のしようもない。

 天皇陛下はこのような経緯を誰よりも深く認識しておられるに違いない。退位の意向を漏らし始めたのは約8年前と報道されているので、安倍政権よりかなり前から、政府としては対応のしようがなく今日に至ったのだろうと推察できる。

 それで陛下は、もはやこの上は天皇の存在を生み出す主権者の国民に、直接提案するしかないと思い詰めたのであろう。
 
 しかし、これは客観的に見れば、歴史的に実権のない名目権威(天皇、上皇)が、実権者に対して異議申し立てをした先例に倣うものであろう。

 今上陛下は非常に謙虚なお人柄だと思われてきたが、齢(よわい)80にして突然、何百年ぶりの「実権者への挑戦」に踏み切った。これが問題の本質である。

 宮内庁がなぜ「譲位」というごく普通の用語を避けて、「生前退位」というどこか失礼な響きの新語をメディアに強制しているのか、今ひとつ分からない。

 憲法第2条では「世襲」だけを決め、あとは皇室典範に定める通りとなっているので、まず皇室典範の改訂が先決となる。

 これも推測になるが、もし一代限りの特例法で「前天皇」に退かれた場合、いままで心血を注がれた「公務」と「祭祀」をすべて新天皇に譲って、何もしない皇族になるのかどうか。 その点が現在でも不明なままなのではないだろうか。

 実は、憲法に「天皇は元首」と書かれていれば、元首という地位の交代というだけのことで、問題はずっと単純になったはずだ。

 オランダやスウェーデンなど欧州諸国の王室で「譲位」がスムーズに行われているのは、この点で日本と違いがあるからである。元首でなくなった前国王は、かえって自由に国民のなかに入っていけるようになる。

 以上の分析で分かるように、後世の評価で歴史的には「政変」にあたるような、「権威 vs. 権力」のせめぎ合いが生じてしまった原因は、明らかに憲法の欠陥にあると言えよう。

 仮に明治憲法の下にあっても、同じような問題が生じたかもしれない。憲法が時代と共に進化していかないと、どんな憲法であっても適合しない部分が生じるのは避けがたい。

 たまたまだが、15日にバイデン米副大統領がトランプ候補を批判する演説のなかで、「日本の憲法はわれわれ(米国)が書いたんだ」と明言した。
 つまり、こんな誰でも知っていることを彼は知らないらしい、という当てこすりである。

 はからずもバイデンの「米国製だよ」という一言は、陛下の意外な一撃にうろたえる日本国民への当てこすりにもなってしまった。
(おおいそ・まさよし 2016/08/27) 
 

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