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国際政策コラム<よむ地球きる世界>No.214
    by 大礒正美(国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)

平成29年1月29日

         不可逆はない半島民族の日本蔑視

 ある日本の大学で、韓国の大学教授を招いて特別講義をしてもらった。たまたま日本に滞在していて、日本語も堪能な年配教授だったので、講義も日本語で気楽にしゃべってもらった。

 彼は、韓日間の領土問題や慰安婦問題などあらゆることに関して、韓国民は「日本人は考えることができないヤカラだ」と思っていると説明した。

 聴いていた学生たちは一様にポカンとした表情になった。「自分の主張に同意しないからといって、考えることができないとさげすむわけか?」

 そうなのである。「考えることができるなら、わが韓国の言うことをすべて受け入れるはずだ」というのが、韓国民(=朝鮮民族)の自然な感覚と言えるのである。

 実はこの話は日本でも知られていて、後半にオチがついているのだが、さすがにかの韓国人教授も日本語では言いにくかったらしく、途中までで打ち切ったということだろう。
 この話の全部を箇条書きにしてみよう。


 日本人は、考えることができないヤカラだ。
 考えることができるなら、われわれの言うことに従うはずだ。
 
 犬も、考えることができない。
 しかし犬は尻尾を振ってなついてくる。
 
 日本人は、考えることができない上に、尻尾を振ってなついてこない。
 それどころか、ことごとに楯突いてくる。
 だから、日本人は犬よりもはるかに劣ったヤカラだ。


 理路整然とオチがついている。さらに付け加えると、本当はヤカラのところには「倭奴」(ウエノム)という漢字が入る。
 倭はこびと、奴は奴隷のことで、すなわち「こびと奴隷」という究極の蔑称である。

 大学生や若い世代の大半は、こういう徹底した日本侮蔑を理解も認識もしていないので、韓国人教授から話を聞いても想像力が働かないだろうと思われる。
 
 朝鮮民族の日本蔑視は、大陸の中華皇帝に対する忠誠の裏返しであって、朝貢国の筆頭を自負すればするほど、朝貢しない独立した日本を徹底的にさげすむことになる。
 
 そうしなければ、民族の自尊心を保てないという歴史を生きてきたのである。

 日本では戦後、朝鮮通信使を善隣外交のシンボルのように持ち上げてきたが、実際には日本側が朝貢せよと呼びつけたものだった。

 第1回は、室町時代の1419年、朝鮮は対馬を侵略して足利幕府を怒らせ、翌年、回礼使(謝罪特使)が国宝級の「大蔵経」を賠償金として献上しに来た。
 それ以来、戦国時代の終わりまで約180年で十数回、徳川時代になって12回の通信使が朝貢している。

 「朝貢貿易」という熟語が知られているように、下手(したて)からご機嫌伺いに参上するという形式さえ取れば、そのお返しという形で莫大な財物が与えられる仕組みになっていた。

 徳川幕府も、朝鮮から通信使を呼びつけたからには、莫大な出費をせざるを得ず、それが後には幕府の財政を困窮させるまでになってしまった。

 では、朝鮮王国はそれで満足したのかというと、とんでもない。「犬よりも劣る」日本人に朝貢させられ、どんなに傷ついたかという恨みつらみを、通信使の随行者がいろいろと書き残している。
 
 正直に「倭人を皆殺しにして66州を朝鮮の国土とし、朝鮮王の徳をもって、礼節の国にしたい」と本音を書いた者もいる。

 せっかく幕府が何年もかけて作らせた国宝級の工芸品や財物を、帰り船が対馬を離れるやいなや、すべて海中に投げ捨てたと言われる。

 朴クネ韓国大統領は「千年の恨み」と言ったことがあるが、13世紀までさかのぼると元寇として知られるモンゴル・高麗軍の日本侵略の事実がある。
 日本のほうがよっぽど、「8百年の恨み」と言いたいところだ。都合の悪い歴史はサッパリと朝鮮民族の記憶から消し去っているらしい。

 その朴大統領が事実上、失脚したことで、1昨年2015年の12月末に合意した慰安婦問題の「最終的で不可逆的な解決」は、決着どころか、今後千年の日本蔑視の材料となってしまった。

 あの合意は、朴クネ氏が「徳が高い」から大統領、すなわち疑似皇帝になっているという儒教的思想があったからこそ、なんとか成立したものだった。

 その暗黙の理解が一気にダムが崩壊するように崩れたので、日本との慰安婦合意は最も憎むべき排除対象になったわけである。

 次期大統領の候補者たちは、全員が合意の破棄や再交渉を主張している。もともと韓国は日本に対して何度も問題を蒸し返す習性を持っている。
 いわゆる「ゴールポストを動かす」という外交の世界の禁手を、何度でも繰り出してくるのだ。

 しかし、彼らは決して「蒸し返す」という意識を持っていないのである。

 いい例がある。日韓合意の前のことだが、元慰安婦だったという老女が「お金はいらない。安倍首相がここに来て謝罪してほしい」と言ったあと、こう続けたのだ。「次の首相も、その次も、、」。

 もう分かったであろう。謝罪を要求し、それを勝ち取ったら受け入れて決着になるという文化がないのである。

 謝罪させたら、自分が道徳的に上だと認めさせたことを意味する。だから、永遠に、何度でも謝罪を繰り返させる権利があると考える。終わりどころか、始まりになるのだ。

 日本が失敗したのは、この文化を無視し、何でもまず謝罪して相手を懐柔しようとしたからである。河野談話、村山談話、そして蒸し返されて国費10億円を支出した安倍・朴合意と、永遠に謝罪も蒸し返される。

 朴大統領の「徳」が消滅したことで、日本に対しては何をしてもいいという「反日無罪」にまた火がついた。

 盗品の仏像を対馬の所有者に戻さないで、6百年前の所有を言いつのる韓国の寺に返すという判決を見ても、司法が機能しない前近代の国であることがよく分かる。

 こういう逆噴射の連続は、安倍内閣にとっても大きなダメージになる。北方領土交渉の当て外れ、トランプ大統領のTPP離脱、天皇陛下の譲位要求と並べると、1強多弱で高支持率の内閣でもどう切り抜けるか、総理自身もあまり自信が持てないのではないだろうか。
(おおいそ・まさよし 2017/01/29)


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