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国際政策コラム<よむ地球きる世界>No.216
    by 大礒正美(国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)

平成29年3月29日

         科学大国衰退させる日本の科学者たち

 世界トップクラスの英科学誌「ネイチャー」が、3月23日発行の別刷り特集で、「日本の科学研究が失速している」と警告した。

 これはかねてから日本でも認識されている事実で、近年の日本人ノーベル賞受賞者が異口同音に指摘していることである。

 ところが驚くべきことに、翌24日には「日本学術会議」が正式に、「軍事目的のための科学研究をしない」と確認したのである。

 確認という意味は、1950年に「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない」、ついで1967年にも「戦争を目的とする科学の研究は絶対に行わない」と2度同じ趣旨の声明を出しているからだ。
 それで今回の3回目は、「前2回の声明を継承する」としたのである。

 前の2回は戦後間がない時代とベトナム戦争激化の時代という背景があり、軍事研究の民生転用であるインターネットやGPSの恩恵もなかった。
 したがって少しは理解できるとしても、今回の「声明」は、防衛省が創設した基礎研究助成制度に「応募するな」という意味なので、理解不可能というしかない。

 英誌「ネイチャー」によると、日本の科学研究への投資は2001年から停滞し、直近の5年間だけを見ても、日本から発表される論文数が8%ほど減ったという。
 上位学術誌に掲載された論文全体に占める日本の割合は、05年から15年の間に7.4%から4.7%に急落している。躍進しているのは中国や韓国である。

 同誌は「まだ日本は世界の第一線にあるが、トップの地位から滑り落ちかねない」と警告している。

 防衛省の「安全保障技術研究推進制度」の助成は28年度に6億円、29年度予算案でやっと110億円である。それでも学術会議は「手を出すべからず」と自らの手を縛っているのである。

 その学術会議とは、法律に基づく政府機関で、内閣府の中に位置し、人文・社会科学と自然科学の分野から選ばれる210人の会員は総理任命である。その目的の第1は「政府に対する政策提言」だというから、これはもうブラック・ジョークというしかない。

 たとえばクルマの自動運転に関する研究助成を、防衛省から受けるのはダメで、他の省庁から受けるのはいいという論理は、世界から日本は幼児なのかと疑われるに違いない。

 そういう子供学者が大学で学生を教えているのが日本の現状なのである。

 この問題に関しては当コラムで5年前に論じているので、それを短縮して再掲することにしたい。

(以下、平成24年2月24日コラムを再録)

           軍事を悪と見る日本の幼児性

 現在の工業文明と高度情報社会の始まりは、蒸気機関による産業革命ではなく、約2百年前のアメリカにおける「均質部品の大量生産」にさかのぼる。

 18世紀末、独立を達成したばかりのアメリカ合衆国は、早急に国防産業を興し、英国のリベンジ戦争に備えて防衛体制を整える必要に迫られていた。
 そこで連邦政府は発明起業家イーライ・ホイットニーに軍用銃の大量生産を依頼し、それに応えてホイットニーは、同一部品を機械で大量に作り出す方式を編み出した。
 それまでの銃は職人の手作りで、部品の互換性はほとんどなかったのである。

 後に有名なサミュエル・コルトが輪胴式の連発ピストルを考案し、加えてホイットニーの均質部品製造と組立て行程を「流れ作業」方式に発展させた。
 これがちょうど南北戦争に間に合ったため大成功を納め、コルトの技術革新は急速に他の工業分野にも波及していくことになった。

 そのなかで歴史的に最もよく知られているのが、ヘンリー・フォードの大衆車「T型」の登場である。ヘンリーはコルトの人的流れ作業をベルトコンベアーに発展させ、製造のスピードを革命的に速くすることによって、製品価格を劇的に下げてみせたのである。

 20世紀は自動車から始まり、航空機、ミサイル、宇宙開発に至るまで広範な技術進歩を繰り広げたが、それらはすべて武器需要から生まれた互換部品システムに始まっているのである。

 考えてみればそれ以前も、原始人の石投げから始まって弓矢の発明、火薬に丸玉の先込め銃、元込め銃、弾薬一体のライフル銃と進化し、コルトの連発銃に結びついている。

(中略)

 アメリカはスリーマイル島事故(1979年)の後、今日まで30年以上原発の新設をストップしてきたとよく言われるが、何のことはない、その間もせっせと原子力艦を年2隻以上のペースで建造し続けてきた。

 新規建造の潜水艦数十隻と空母(原子炉2基)のために製造された原子炉の総数は、おそらく百基前後に上ると推定される。陸上の既設原発とほぼ同数かそれ以上になるのではないかと思われる。

 この事実は、原子力(=核エネルギー)の将来は発電よりも動力にあるということを示唆しているのかもしれない。発電オンリーより動力のほうが技術的に上だからだ。

 現にP5(国連安保理常任理事国)は核兵器と共に原潜を保有している。空母を廃止してでも原潜は追求する。中国はまだ自前の技術を確立していない。

 日本は核兵器と一緒に動力路線を完全に捨ててしまったので、中国はおろかインドにも追い抜かれることは確実だ。インドはつい最近、ロシアから2隻目の原潜をリース取得した。

 過激な反核反原発イデオロギーの人たちは30万年後の廃棄物を問題視するが、連発(自動)銃が世界でどれだけの犠牲者を出し続けているか、また自動車が世界で年間百万人以上(日本で5千人規模)を死なせている事実を、なぜ問題にしないのだろうか?

 またそういう平和愛好家は、自分たちの活動にインターネットもカーナビ(GPS)も利用しないのだろうか。
 前者はアメリカの軍事通信システムから発展したもの。後者は最新鋭の米軍事衛星システムを部分的に無料で使わせてもらっているものだ。
 これは世界でも日本でも常識である。
(再掲終わり)

 当コラムにも「軍事研究反対」を呼びかける学者のメールが送られてくる。「メールは絶対に使わない」というような矜持はどこにもないようだ。
(おおいそ・まさよし 2017/03/29)


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