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国際政策コラム<よむ地球きる世界>No.218
  by 大礒正美(国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)

平成29年5月28日

        誰が何を忖度sontackすべきだったか

 「津波 tsunami、過労死 karoshiなどと並んで、忖度も英語になった。スペルも sontack と英語的だ」。

 というのは筆者オリジナルの冗句だが、遠からず事実となるだろう。なぜならば、「忖度」に相当する英単語はないのに、「他人の心(気持ち)を推し量ること」と説明すれば、世界共通ですぐ分かるからだ。

 それで sontack とすれば名詞にも動詞にも使えて非常に便利になるはずだ。「It is a sontack, you know.」とか、「Yes, he sontacked.」という具合に使える。

 偶然かもしれないが、中国に駐在した韓国の新聞記者が「中国語には配慮という単語がない」という記事を書いている。
 中国の検索サイトで「配慮」を検索すると、「他人の身になって考えるという意味の日本語」と出てくるそうだ(朝鮮日報日本語版5/21)。

 この記事は、「だから中国相手の外交で配慮を期待するのは愚かだ」という趣旨で書かれているのだが、その記者自身の母国に配慮という文化があるかどうか、多分に疑わしい。
 日本に関してはどんな捏造、偽造、ヘイトスピーチを書き飛ばしてもいいというのが、あの国のメディアなのである。

 韓国に「忖度」や「配慮」の文化があったら、朴クネ大統領に巫女まがいの親友一族が取り憑いて、とうとう弾劾、罷免まで追い詰めるというようなことにはならなかっただろう。

 しかし、本家本元の日本で、これほど「忖度」が悪い意味で使われてしまっては、文化そのものの破壊につながりかねない。
 「忖度して、行なう」か「忖度して、行なわない」の両方を、バランスを取って考える必要があろう。

 安倍総理を悩ませる「森友」「加計」の2つの問題は、官僚が「忖度して、行なった」ことが問題だとされるが、あらゆることに配慮し、忖度しながら仕事を進めるのが官僚の本分である。

 それができない官僚は、官僚という職に向いていないというしかない。むろん、韓国大統領について回る職権乱用や汚職という犯罪とは別だ。

 この2つの問題の核心は、森友側と加計側のほうに、「忖度して、行なわない」という文化が全くなかったという点にある。

 特に総理が「腹心の友」(莫逆の間違い?)と認める加計(かけ)学園理事長は、「安倍総理の在任中は獣医学部新設計画を一時中断しよう。総理にあらぬ疑いがかかるといけないから」と、なぜ考えなかったのだろうか。

 それが「李下に冠を正さず」という格言の具体例ではないだろうか。

 森友学園に至っては、もう何をか言わんやで、意識的に官僚の忖度と配慮を引き出すことに全力を注ぎ、自分のほうは全く忖度も配慮もしなかったように思われる。

 野党議員が昔のロッキード事件に重ねて「アッキード」云々と呼んだように、政府職員を引き連れての安倍昭恵夫人の奔放な言動にも問題はある。
 ひと言で言えば、忖度ではなく「配慮」の欠如が目立つ。

 配慮とは忖度よりも広い概念で、いわゆる「おもてなし」の基盤にあるものだと思えば分かりやすい。
 「他人の身になって考える」配慮がなければ、そこから生まれる「おもてなし」はありえない。

 だから、中国にも韓国にも、日本独特の「おもてなし」が存在しないのである。
 
 「忖度・配慮」文化には「暗黙の社会規範」が含まれている。それが弱くなったとしたら憂慮すべき社会変化だと言えよう。

 では、もともとそんな文化のない諸外国では、どういうことになるのだろうか。

 その典型例が、現在のアメリカと考えればいい。訴訟社会と言われるように法による規制が優先され、日本の何十倍もいる弁護士が政治経済司法のすべてを動かす。

 そういう社会を甘く見て、落とし穴にはまり込んだのがトランプ大統領である。トランプ自身の事業と長女イヴァンカ(現大統領補佐官)の事業、さらにその夫クシュナー(現大統領上級顧問)の事業という複雑な利害の広がりは、選挙中からトランプ陣営のアキレス腱だと言われていた。

 それが「ロシアゲート」に集約される形で、「顕在する社会規範」にさらされるに至ったわけである。

 公然と弾劾まで言及されているトランプ大統領に比べれば、安倍総理が負わされた手傷はかすり傷にすぎないかもしれない。

 が、歴史的文化に基づく社会規範に触れたのだという自覚と自省がないとしたら、やがて致命的なボディブローになる恐れは否定し得ない。(おおいそ・まさよし 2017/05/28)


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