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国際政策コラム<よむ地球きる世界>No.233
    by 大礒正美(国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)

平成30年8月30日

        侍従たち側近に自覚はないのか

 また世に出された昭和天皇の侍従(故人)の日記にこういう記述がある。

<1988年11月14日 言語不明瞭というより言葉になっていない。聞き耳をたてたが全くわからない。
<12月20日 昨日は「おじゃじゃ」ということもおっしゃったと。「痛い」とか「いや」とも。
<23日 昨夜、侍医の「お寒くありませんか」の呼びかけにお首を左右にお振りになるなど反応をお示しになったという。
<89年1月6日 輸血の効果が出にくくなっている。すべての機能が衰えてきているためという。いよいよ今度こそはという時期にきている。
<7日 崩御 朝5時すぎ当直侍従から電話。(略)肌着、小袖などをおきせする。左手は腕関節がすでに固くなって曲がらないので袖を通すことができず、腰をもちあげたり、横にしたり仲々重い。まだ暖かみが残っていた。(朝日8/24朝刊)

 どんな有名人、無名人であっても、残された家族がこういう最期の様子を天下にさらされることを望むだろうか。
 昭和天皇ご本人も天上で激怒しておられるのではないだろうか。誰に対して?

 側近に対して? その家族に対して? あるいは公表したメディアに?

 この日記は天皇の侍従を15年ほど勤め、崩御にともなって香淳皇后に最後まで仕えた小林忍氏が、ほぼ毎日書き綴った膨大なものだという。共同通信が家族から入手した。

 同じく侍従だった占部亮吾氏の日記を2007年に朝日が報道し、その前年には宮内庁長官だった富田朝彦氏のメモ類が日経に持ち込まれているので、これで昭和天皇の戦後の苦悩を記した3番目の内幕記録ということになる。

 側近たち本人は日常業務のため、というより官僚の習性で克明な日誌を付けてしまうのだろうが、それが世の中に出てしまうかもしれないという危険性をどう考えているのだろうか。

 当コラムでは、富田メモが公表されたときに、これでは皇族は本当の側近を持てなくなってしまうと警告した。ここで部分的に再掲する必要があろう。

以下、「皇室存続を危うくした『富田メモ』大暴露」(2006/07/29)より再掲

 このメモの公表によって、すべての皇室メンバーは「側近」を持つことが不可能になってしまった。これがこのメモ問題の核心である。

 もはや「側近といえども心を許してモノを言うことができない」と考えない皇族はいないだろう。しかも富田メモは宮内庁長官という最高位の側近(終戦前なら宮内大臣)が、天皇の私的発言を「私」という主語で書き留めている(ようだ)。間接話法ですら、ない。こんな「側近」が、かつて存在しただろうか?

 現行憲法の下では皇室に元老や華族貴族の取り巻きはいない。君主一家としては世界で最も孤立無援と言えるだろう。システムとしての皇室を支え、同時に私的な問題にもブレーンとして助言するのは宮内庁の官僚以外にはない。

 その官僚が自らの保身のため、あるいはもっと良からぬ企てのために、皇族の日常の片言隻句を、そのまま書き留めておいたらどういうことになるだろうか。
           (中略)
 もはや「ご学友」も「恩師」も存在し得なくなる。幼稚園から大学まで、誰が皇族(園児・生徒・学生)の発言を日常的に書き留めているか分からない。もっと恐ろしい隠し録音という方法もある。
 そうしたことをしないという暗黙の前提が、今回の日経スクープによって完全に突き崩されてしまったのである。

 皇族のすべてが今後、唯一の支えである側近を失い、なかでも未成年皇族は学友も恩師も信じられないまま成人するという時代に、突然、なってしまった。

(以上、再掲終わり)

 決して将来の話ではない。また、昭和天皇や侍従たち全員の没後に公表されたからいい、とか悪いという話でもない。

 現在進行形ですでに深刻な影響が心配されるのは、秋篠宮家の結婚話についてである。前代未聞の婚約延期を巡る宮家の中の葛藤や会話を、何人もの「側近」が事細かに記録している可能性が強い。

 そうするのが官僚出身侍従の常であるから、その記録が後に流出するのは容易に想像できよう。
 それだけでなく、週刊誌ネタになる噂話等々は、内部から漏れ出しているとしか思えないものが多々ある。

 そういう内部の日常が、天皇の一人称発言(富田メモ)や天皇との会話型(小林日記)のように生々しい文書で存在するとしたら、週刊誌が何としても手に入れようと全力を挙げるに違いない。

 側近が皇室皇族から本当に信頼をかちえるには、西郷隆盛に請われて明治天皇の侍従になった山岡鉄舟などの先人に学ぶ必要があろう。

 それと同時に、自分の没後はすぐに日記を焼却するよう家人に遺言しておくべきである。(おおいそ・まさよし 2018/08/30)
 

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