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国際政策コラム<よむ地球きる世界>No.240
   by 大礒正美(国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)

平成31年3月30日

       司法制度は歴史文化の一部だと主張せよ

 ルノー/日産のトップだったカルロス・ゴーン逮捕以来、欧米と日本の司法制度の違いが改めて表面化し、日本に不利に働いている。
 それに気がついている日本人が少ないのも問題だ。

 最も気になるのは、「推定無罪」という用語と、保釈なしの長期拘留が「野蛮」か否か、さらに弁護士の立ち会いなしの取り調べがおかしいかどうか、という3点である。

 まず、「推定無罪」という用語は二重の間違いで、誤訳の域を超えて有害な日本語だと言わざるを得ない。
 英語では「presumed innocence」だから、「無実」と「みなす」という意味で、刑の確定まではみな等しく「みなし無実」として扱わねばならないという大原則である。
 
 裁判の前や進行中に「無罪」と「推定」する、のでは全く違う意味になってしまうことが分かるだろう。

 この違いを明確に知るには、アメリカの裁判ものの映画やドラマを見れば、「無罪」という表現がなく、その場合は「Not Guilty」(非有罪)ということでよく分かるはずだ。

 すなわち「有罪にあらず」という表現には、証拠不十分や司法プロセスのミスで「有罪」にできないという場合が含まれているからである。
 日本では、そういう場合でも「無罪」という判決になる。

 漢字で書くと「無実」と「無罪」は見た目が似ているので、一般には混同して区別しない傾向がある。
 しかし、有罪の判決を受けた被告が「私は無実」だと叫ぶシーンでは、必ず「無実」を使う。
 ゴーン被告も、用語は正しく「私は無実」だと主張している。

 それなのに、フランスのメディアの同情的な報道や、ルノーのスナール新会長が「推定無罪」の原則を語ったと、日本のメディアは引用するのが普通だ。
 それを報道する日本のワイドショーなどでも、弁護士のコメンテーターが一向にこの誤解を訂正しようとしないのもおかしい。

 第2の保釈の問題と、第3の弁護士の立ち会いの問題は関連していて、特に米国と日本の制度は正反対の極といえるほどかけ離れているので、比較してみればより分かりやすいだろう。

 米国の弁護士はピンからキリまであると言えるが、高い方は時給数千ドルを要求する。だから例えば離婚騒動でモメると、裁判にならなくても終わったときには夫婦とも、弁護士にすべて取られてスッテンテンになるという笑い話がある。

 日本で逮捕拘留されたゴーン容疑者は、1日8時間も取り調べが続いたといわれるが、もし弁護士が立ち会っているとすると、その報酬はタクシーメーターではないがどんどんハネ上がることになる。

 したがって米国の方式では、容疑者はさっさと保釈金を納め(専門の貸金業者がいる)、シャバに出て対策を練った方がいいということになっている。

 それでは捜査側は十分な取り調べができないではないかという疑問が生じるだろう。そこが弁護士の仕事の柱であって、容疑者本人と警察あるいは検察との間を取り持って、あくまで無実を主張して裁判に臨むか、それとも「容疑の一部」を認めて刑に服すかを取り引きする。
 
 つまり、こういう司法取引が弁護士の腕の見せどころであって、映画やドラマに描かれる芝居がかった法廷シーンは、実際にはごく少数のケースでしかないのである。

 ひるがえって日本では、大岡越前守にみられるように、警察と検察と裁判官を1人で兼ねるような「お上」を理想的と考える文化がある。

 近代の世界ではあり得ない時代錯誤とも言えるが、日本の司法制度は綿密な取り調べで、裁判前に十分な証拠を集めることを基本にしているので、どうしても時間がかかる。
 自白するまで拘留する「人質司法」だというような批判は的外れで、「お上」に対する信頼が現代に受け継がれていると見るべきだろう。

 米国は取り調べよりも「取引」優先で、裁判も全員シロウトの陪審団が「有罪」か「非有罪」かを決する。つまり尊敬すべき「お上」はどこにも存在しない歴史文化である。

 しかし、米国に近い司法制度、すなわちシロウトの陪審員が加わる法廷とか、弁護士が取り調べに立ち会うといった制度の方が世界的には普及しているのも事実だ。

 少数派の日本は、どうしてそうなのかを歴史的、また文化的に説明し、世界に向けて発信していかないと、日本に対する潜在的な悪意や侮蔑の材料を意図せずして提供することになりかねない。

 その一例が、日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恆和会長に対する対応に現れたと思われる。
 フランスの司法当局が同会長を東京五輪の招致で贈賄した疑いで予備捜査を開始し、それを欧米メディアが、こんどは都合よく「みなし無実」を忘れたように報道している。

 さらに国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長(ドイツ人)が訪日を拒否し、暗に武田会長の辞任を要求したと報道されている。
 それが事実だとしたら、これも「みなし無実」原則を欧州エリートが選択的に無視したということになる。

 こういう状況は、特に中国や韓国に対して「法治国家であれ」と主張する日本の立場を、先進国仲間が足を引っ張る図式になりかねない。

 日本は、すでに国連の人権関係の委員会などで、いわれのない攻撃を受け続けている。
 また、韓国が国際条約や取り決めを無視して、日本政府や企業に謝罪や賠償を要求する「ゴールポスト無視」が続く状況に対して、どれだけ説得力のある反論ができるかという疑問が出てきている。

 つまり、仮に島根県竹島の領有権や戦時労働者の補償について、日本が中立の国際司法機関に訴えたとしても、日本が必ずしも勝てるかどうか分からないほど、日本の立場は危うい状態になってしまったという見方もある。

 それほど日本の外交力が年々、衰えてきたということである。元号が代わる現在のこの時点で、「平成は失敗の時代だった」という財界首脳の総括がすべてを物語っているとも言えよう。
(おおいそ・まさよし 2019/03/30)


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