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国際政策コラム<よむ地球きる世界>No.241
   by 大礒正美(国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)

平成31年4月30日

     第2のアルゼンチンかアジアのスイスになるか

 平成最後の(慣用句!)発信となるので、それにふさわしく、もっぱら国際政治の観点から平成時代を総括してみよう。

 約30年前といえば、東西冷戦の終結プロセスとほぼ重なり、世界的に新しい時代が始まると期待されていた。

 その当時、丸い数字でいえば、アメリカの実質GDPが世界の25%を占めており、日本のそれは15%ほどで、日米を合わせれば世界の約4割にも上っていた。

 アジア太平洋という地理的なくくりの中で、日米同盟が圧倒的存在であったことを物語っている。

 他方、中国の経済規模は日本の10分の1にすぎなかったが、これも圧倒的な「人口力」と広大な国土という地政学的な有利さで、日米に対抗する姿勢をあらわにしていた。

 国際政治学の高坂正堯・京大教授は、これを「拒否力」と呼んで、中国の意に反することを日米が押しつけることはできないと論じた。

 30年前でさえ、そういうパワーバランスであったとすると、恐ろしいまでの変化が生じたことがよく分かるはずだ。

 現時点で、米国の実質GDPは世界の23%ほどで微減と言える。軍事力の優位さは全く変わっていないと言えよう。
 しかし日本はどうだろうか。

 日本の経済力は、中国に抜かれて世界第3位に落ちたというだけでなく、世界の6%に激減してしまったのである。
 すなわち、シェアでいうと半減以下という惨状である。

 これでは日米を合わせても、かつての4割から3割弱まで下がってしまったわけで、それがほとんど全部、日本の責任に帰することが明らかだ。

 国民1人あたりのGDPはまだ中国より上だが、ピークの世界第2位(平成12年)から現在は26位にまで滑り落ち、先進国のカテゴリーから外れる寸前になっている。

  中国は「拒否力」どころか、米国に挑戦してアジア太平洋地域の「覇権」を奪取する戦略に乗り出している。

 どうしてこれほど大きな変化が起きてしまったのか、高坂教授もあの世で呆然とするほかないであろう。

 経済の面からの原因や理由は、「後で貨車で来る」ほどあるだろうから、ここでは国際政治の観点から見て、日本とアメリカにそれぞれ根本的な原因があったと考えるべきだろう。

 日本は、冷戦の終結で世界が平和になったと誤解し、安全保障の心配がなくなると同時に、国として「追いつき追い越す」相手がもはやいない先進国になったと勘違いしてしまった。

 実際、これは二重に致命的な誤解だった、と今では多くの国民が理解しているだろう。

 またアメリカは、ソ連の崩壊を見て、中国が教訓を学んだはずだと楽観的になり、中国の経済発展を支援することによって、共産党独裁の体制を日本のような民主主義国家に変えることができると信じ込んだ。

 これがまた、致命的な誤解だったとトランプ政権になってやっと気がついたところである。

 では、「令和」の時代にこのままのトレンドが続いていくのか、そうはならないのかが問題となる。 

 ここまで日本が衰退すると、再び中国を抜き返すほどの復活を期待することは非現実的だ。
 衰退が続くとすると、かつてのアルゼンチンのような姿になるだろう。

 アルゼンチンは20世紀初頭、農産物輸出国として発展し、世界で5番目の経済大国になった。世界中から出稼ぎ労働者が続々と入り込み、地方都市にも豪華なオペラ劇場が出現したほどだった。
 いま当時の栄華の面影は遺跡のようになってしまった。

 そうなるのがいやなら、スイスや北欧諸国のような特色のある高所得国を目指すしかない。

 しかし日本は人口が減るといっても1億人で、国土も周辺の経済水域を入れると、世界でも有数の広さを持っている。スイス、オーストリア、北欧などとは基本的な条件が異なる。

 中国が朝鮮半島と東南アジアの大半を事実上支配することはもはや想定内であり、日本はどうやって独立を維持するか、ちょうど150年以上前の幕末のような状態に置かれる可能性が高い。

 日本は、実は30年前から、この問題に取り組んでこなければならなかったのである。経済では「失われた20年」とよく言われるが、国際政治の視点からは「失われた30年」と言わねばならない。

 そういう認識が広く共有されていないところが、「令和」時代を迎えるいちばんの問題点なのかもしれない。
(おおいそ・まさよし 2019/04/30) 


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