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国際政策コラム<よむ地球きる世界>No.242
   by 大礒正美(国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)

令和元年5月29日

      皇室皇統を議論するなら知るべき2点

 新元号、新天皇の御代となったのは目出度いが、そのお祭り騒ぎの延長で、またぞろ女性天皇、女系天皇でもいいのではないか、という議論が頭をもたげてきたようだ。

 この問題は過去に何度も繰り返されているが、実は結論が初めから出ているのである。当コラムでも取りあげ、単行本化した中にも所載してあるが、重要な点がメディアに見過ごされていると思われるので、ここに改めて再掲することにした。

(以下は平成16年8月コラムを再掲)
(前略)「女性天皇」是か非かという議論で、最近、否定論の一つに遺伝子の特質を理由にして、天皇は「男系の男子」でないといけないという主張が出てきた。

 それは女性の染色体が「XX」の組み合わせで、男性の染色体は「XY」の組み合わせであることを根拠とする。この「Y染色体」は男の子にのみ受け継がれ、女の子には受け継がれない。その子もまた同じである。

 したがって、天皇の初代が神武であれ誰であれ、その後継が男系の男子のみに承け継がれていれば、初代のY染色体は延々と今上天皇にまでつながっていることになる。
 これは腹が正妻であるかどうかを問わない。

 いわゆる「万世一系」とはこういうことなのだという理論である。歴史上、天皇の承継が男系にこだわったのにはこういう理由があったのか、と驚く人も多いだろう。
 その驚きには、同時に、そんなに2千年ぐらい古くから、日本民族(倭人?)だけがY染色体の不思議さを知っていたのだろうか、という疑問も当然含まれる。

 しかし、事実としてそうなのである。いちばんよく知られているのは6世紀初め、越前の豪族になっていた応神天皇「五世の孫」が探し出されて、第26代の皇位に就いた事例である。「継体天皇」という称号の異様さ(遺徳などを顕さない)が歴史的に関心を呼んでいる天皇だ。

 この「継体」の意味を深く考える人々は、やはり「男系の男子」の意味を重視せざるを得なくなる。

 継体天皇の実例が示すように、天皇の兄弟は皇族からやがて臣籍降下して民間人になるが、それでも男系の男子には歴代天皇と同じY染色体が受け継がれている。
 歴代の天皇がそのプロセスを繰り返していくわけだから、日本人の大部分は天皇と遺伝的につながっていることになる。

 昔からわが国では、「日本人の先祖をたどれば、みんな清和源氏か桓武平氏だ」と言われてきた。それがまんざら冗談ではなかったということになる。
 女系が混じるのを意に介さない社会ではこういう冗談すら成立しないから、日本人はこの男系へのこだわりを十分意識していたのだろう。

 もちろん、この説が全面的に、医学的に証明されたとしても、それが直ちに現代の日本において女系天皇を否定する根拠となりうるかどうか。また、日本人が古代から本能的に知っていたことを、世界の他の民族が知らなかったということがあり得るのか。(2004/08/26)

(以下は平成13年5月コラムを再掲)
    「女性天皇」は机上の空論。なぜか?

 にわかに高まってきた議論---「女性の天皇を認めるべきだ」。小泉首相も与党3党の幹部も異論がないようで、今のところ秋の臨時国会で皇室典範の改正が実現しそうな勢いである。

 しかし、実際には、法律改正がどうであろうと女皇(女帝はおかしい)は実現しないだろう。これは戦後の日本では無理な話だということであって、男女共同参画とか、欧州では当たり前だというような問題ではない。

 最大の障害は、女皇の夫を見つけるのがほとんど不可能だという「現実」である。このことは、すでに皇女の嫁ぎ先を探すのが極めて困難になってきていることで、十分に証明されていると言えよう。 

 これは考えてみればすぐ分かることで、女皇または皇太女の婿に迎えられるほどの男性となれば、家柄はもちろん、心身共に健全で頭脳明晰、かつ学歴、仕事歴、縁戚関係などに毛ほどの傷もなく、スポーツ、音楽、外国語に優れ、和歌の素養も望ましい。
 そして一番重要なことは、それらの才能がすべて自分のためでなく、配偶者のために与えられたのだと心の底から信じられる人格である。

 仮にこういう男性がいるとすれば、それは王族、貴族の中にのみ存在するのではないか。すなわち、ノブレス・オブリージュ(貴種の義務)の一つとして受け止められるからだ。

 いい例が英国である。大々的に貴族社会を残している英国でさえ、エリザベス2世女王の夫君はギリシア王家から迎えられた。それも結婚は王位継承の予定はない王女時代(1947年)のことだった。

 夫のフィリップ殿下は遠縁であり、ギリシアとデンマーク両国の王位継承順位の何番目かに位置していたが、あえて英国に帰化し、大公爵に叙せられて王女の「ムコどの」になったのである。

 現在、デンマークとオランダにも女王がいるが、いずれも配偶者はPrinceと呼ばれている。英語では王子も公爵も同じプリンスであり、歴史的にこれらが同格であることを示唆している。ちなみに日本の宮内庁では「王配殿下」と呼んでいるらしい。

 欧州の王室はみな縁続きである。貴族社会も存在する。女王の夫も探せばどこかに釣り合いのとれた貴種がいて、喜んで(かどうか)義務を引き受ける可能性が高い。

 日本は戦後、華族、貴族をなくしてしまった。皇室にはいわゆる「藩塀」が存在しないのである。
 そのため、法的に女皇が可能になったとしても、夫の供給源がないことを考慮すると皇女(内親王)に皇位を継がせることはできない、と誰もが考えることになるだろう。
 それは人道問題だからだ。

 「夫の問題」はまだまだある。欧州の相場では公爵らしいが、爵位のない日本では王配殿下にどうやってハクをつけるのか。王室同士は対等というのが国際儀礼だ。

 もっと難しいのは、理想的な男性が見つかったとして、とうぜん民間から婿入りしたとして、そして目出度く世継ぎをもうけたとして、それから「お暇を戴いて自分の人生に戻りたい」と言いだしたときである。
 なんびとといえど、これを拒否するわけにはいかない。それは人道問題だからだ。

 そうして民間人に戻った元殿下が、新たな人生の伴侶を見つけて再婚することもあるだろう。とうぜん子供も産まれるだろう。
 かくしてあるとき、天皇に百パーセント民間人の異母弟妹が存在するという事態が実現する。

 こういう皇統の複雑化がいわゆる「お家騒動」を生みだすもとであり、王室衰亡につながりかねないことを、われわれも欧州人も経験的に知っている。

 皇室典範が「皇統に属する男系の男子」と限定しているのは、決して理由のないことではない。いわんや、男尊女卑の現れというような皮相なものではない。

 かくて議論は、「もともと貴種は、平等とか男女同権というような考えの外にあるから、貴種なのだ」というところに戻ってしまうのである。(2001/05/22)
(以上、再掲終わり)


 令和に変わった今月に行われた世論調査を見ると、国民の7〜8割が「女性」天皇と「女系」天皇の違いが分からない上で、「女性の」天皇でいいと答えている。

 こういう状態を放っておいていいはずはない。政府は啓蒙の努力を怠ってきたのではないだろうか。
(おおいそ・まさよし 2019/05/29)


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