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国際政策コラム<よむ地球きる世界>No.259
   by 大礒正美(国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)

令和2年10月30日

         見え透いた韓国の原潜保有願望

 先月、韓国が公然と米国の意向に反する2つの動きを見せ、米側が即座に拒否反応を公にする「事件」が起こった。

 それは、文在寅大統領が9月22日の国連演説(ビデオ)で、朝鮮戦争の「終戦宣言」を提案したことと、国家安保室の高官が訪米し、原子力潜水艦の建造計画を明かしたあげく、燃料の濃縮ウランの供給を求めたことである。

 この2つは関連性がないように見えるが、実は同じ目的で貫かれているのである。

 ムン大統領が当選前から一貫して南北統一を目指していて、そのためにはアメリカでも中国でも何でも利用し、政権の基盤は「反日」で国民を一致させる手法をとっていることは、すでに周知の事実であろう。

 北朝鮮の核・ミサイル放棄が全く実現していないのに、朝鮮戦争の休戦状態を終わらせるのが促進策になるというのは、北の立場を代弁しているわけで、そんなことをいきなり国連で提案するというのは、もはや米国の同盟国ではないと言っているのと同じことである。

 1953年7月の休戦協定は国連軍(実質は米軍)と北朝鮮・中国の間の協定で、侵略された韓国は当事国ではない。しかし、同協定の3ヵ月後に米・韓が軍事同盟を締結し、米軍が駐留して韓国を防衛するという体制が整った。

 したがって、休戦協定をなくす「終戦宣言」が行われると、ほぼ自動的に「米韓相互防衛条約」の意義が失われ、米軍はさっさと引き上げることになる。

 これこそ北の独裁者の望むところであり、南のムン大統領に「こう動いてくれよ」と頼んで(強要して)いることは、アメリカから見ればミエミエだ。

 それなら、原子力潜水艦を持つという計画とはどう連動しているのだろうか。

 略して原潜と呼ばれるが、大別して、海中から弾道ミサイル(SLBM)を発射して相手国の中枢を核攻撃する「戦略ミサイル原潜」と、魚雷や巡航ミサイルで相手の艦船を狙う「攻撃型原潜」に分けられる。

 注目されるのは、ムン大統領が選挙中から原潜を持つべきだと言及していたのは後者の攻撃型とみられるが、それが最近は北のSLBM開発に合わせて、戦略ミサイル原潜も念頭に置いているのではないかという変化である。

 韓国のメディアや軍部がかねてから攻撃型原潜に前向きなのは、「仮想敵」が日本だからである。
 韓国から見れば、日本は地理的に韓国全土を攻撃可能だが、韓国は日本の太平洋側を攻撃することは困難だ。

 従って理論的には、韓国海軍は複数の攻撃型原潜をコッソリと太平洋側に回して、万全の備えにしようと考えるのは自然だ。

 原潜は「秘匿性」が存在理由の最たるもので、燃料補給なしに何ヵ月でも潜っていられる。酸素と真水は自前の電力で作れるので、食料と乗組員の健康だけが限界となる。

 戦略ミサイル原潜は全く目的が違い、北朝鮮が進めているのはアメリカの攻撃に備えて、米国本土の東海岸まで届く地上発射の大陸間弾道ミサイル(ICBM)と、太平洋のどこかの海中から同じ目標に届く潜水艦発射ミサイル(SLBM)を同時に装備したいということになる。

 むろん、実際に核戦争をしたいということではなく、米英仏中露などの核装備国と同じく、どこかからの脅威を抑止するという理屈であろう。

 ここで問題になるのは、韓国と北朝鮮はこの分野で自然な補完関係にあることだ。

 韓国は世界トップクラスの造船大国で、自前の原子炉も輸出実績がある。動力用の小型原子炉は未知数だが、すでに設計済みという報道もある。しかし濃縮ウラン燃料をつくれない。
 北は核弾頭も核燃料も供給できる。

 韓国は原潜に積むミサイルの類は全く経験はないが、北は10月10日の軍事パレードで新型かつ大型のSLBMを誇示して見せた。
 ただし、建艦能力が著しく遅れていると見られ、実際にそれが通常動力の潜水艦に積まれて実戦配備されるかどうか、専門家筋は疑問に思っている。

 ここに韓国が技術を供与するのではないかという疑念が生じるのである。

 つまり、ムン大統領は原潜そのものもさることながら、北が必要としている技術を提供できると提案しているのではないだろうか。

 この提案は北に対する交渉の手駒であると同時に、独裁者が大いに喜ぶ手土産という役目も兼ねているだろう。

 さて、日本としてはこの危険な「戦略遊び」が進んでいけばどうなるか、どう対処したらいいか、誰か本気で考えているだろうか。

 いずれ統一朝鮮が保有するかもしれない原潜が、もし攻撃型であれば標的は日本であり、戦略型であれば標的はアメリカ東海岸ということになる。

 どちらであってもそれで彼らが満足することはないだろう。片方のタイプだけで満足して終わらないことは容易に想像が付くというものだ。
(おおいそ・まさよし 2020/10/30)


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