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国際政策コラム<よむ地球きる世界>No.266
   by 大礒正美(国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)

令和3年5月30日

       五輪断念は日米衰退の分水嶺

 大国ないし地域大国が、ピークを過ぎて凋落するとき、必ずハッキリした区切りの事件があると言われる。

 いま英国などの識者が警告しているのは、アメリカが「台湾を失う」事態になれば、それは歴史的にアメリカ覇権時代(パックス・アメリカーナ)に終止符が打たれることになるのではないか、という予感である。

 その英国が栄光を失って凋落したのは、スエズ動乱(1956)でエジプトに勝つことができず、かつアメリカの支持も得られずにスエズ運河を失ったことがきっかけとなっている。

 フランスは明らかに、日本から取り返したベトナムを米国に任せ、かつ生命線と言われたアルジェリアの独立戦争に屈したことで(1962)、大国の地位から滑り落ちた。

 旧ソビエト連邦は、79年のアフガニスタン軍事介入から、わずか12年で連邦崩壊にまで突き進んだ。

 こういう歴史観に学んで日本の現状を見た場合、東京オリンピック・パラリンピック(略して五輪)を断念することは、日本が世界の一流国から滑り落ちる、否、転げ落ちる崖っぷちになることは明らかだと思われる。

 なぜならば、日本が東京五輪を断念しても、中国は来年2月の北京冬季五輪を決して断念することはないからである。

 この関係性に気づいている識者は少なくないと思われるが、ハッキリと警告したのは猪瀬直樹・元東京都知事だけで、やんわりと「日本は国際的信用を失い、国際的イベントを開催できなくなるかもしれない」と釘を刺している(朝日朝刊、5/22)。

 しかし実際にはそんなレベルの話ではない。事態ははるかに深刻なのである。

 中国が北京五輪の閉会後に何を言い出すかを考えてみるといい。「日本はコロナに負けて、五輪を断念した。われわれ偉大な中国はコロナに打ち勝ち、五輪を成功させた。日本はもはや先進国ではない。アジア唯一の先進国は中国だ」と勝ち誇るに違いない。

 日本人はほとんど無視しているが、数年前、中国の王毅外相は、「日本は大国になった中国に慣れるべきだ」と言い放った。「反抗できる立場じゃないだろ」という意味だ。
 また、韓国の文在寅大統領は、「大法院(韓国最高裁)の判決に日本が従えば何の問題もない」と一言言って、日本企業への戦時労働賠償要求を放置したままである。

 つまり、中国と韓国はすでに日本を同格の存在と見ていないわけで、もし日本が東京五輪の開催に失敗したとしたら、この2ヵ国の態度が全アジアに波及していくことは明らかであろう。

 問題はそこで終わらない。日本がアジア地域の唯一の先進国であり、本物の自由民主主義のリーダーシップを持つ同盟国だからこそ、アメリカは日本を頼りにしてアジア太平洋戦略を立てることができている。

 その日本の世界的評価が凋落したら、そもそも米国が台湾を擁護することは不可能になるだろう。

 冒頭に紹介したように、台湾を失うことが米国の凋落の始まりになるのであれば、そのきっかけはまず日本が先に凋落することであり、その始まりは東京五輪の断念にあったと、後世に指弾されるという分析が成立する。

 その先は悪夢というしかない。日本と台湾を失った米国はグアムも捨ててハワイに退く。つまり太平洋の西半分を中国に明け渡すことになる。

 もう14年も前に、中国海軍高官が「太平洋を半分ずつ支配しよう」と米側に提案したのは本気だったということになる。

 菅首相を始め、政府幹部はこの論理を理解しているに違いないが、それを国民に説明することができない。
 「中国の野望を阻止するために東京五輪を何が何でも開催しなければならない」のだとは、いくら何でも口にすることは不可能だ。
 
 アメリカや西欧の首脳たちは分かっているので、日本開催は当然のことと受け止めている。
 しかし、そういう民主主義国のメディアは逆に、権力を批判するのが本務だと思っているので、日本の左派自虐メディアと同じように、東京五輪反対の声を次々に挙げ始めている。

 こういう事態にどう対処したらいいか。

 1つのカギは、「北京五輪に首脳を派遣しないようにしよう」という、米下院与党のペロシ議長の呼びかけである。

 ボイコットとか、選手に負担をかける圧力でなく、「どうぞやって下さい、但し首脳級の参加はありませんよ」というソフトな抗議をまず提案したわけだ。なかなかの知恵者ではないかと評価したい。

 日本としてはおおっぴらには動けないが、逆にできるだけ多くの首脳に来てもらうことで「成功だった」と印象づけるよう努力すべきだろう。
(おおいそ・まさよし 2021/05/30)


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